「病気の知人に何かできないか、一度でいいから診てもらえないか」
お世話になっている方から連絡をいただきました。
進行性の神経難病で、全介助が必要な状態ということでした。
距離的にも治療院の現状からも往診は難しいのですが、日程を調整して昨日仕事を終えた後、車で向かいました。
久しぶりの大雨で、時おりワイパーも効きません。
高速道路もゆっくりしか走れず、約束の時間ギリギリに到着し、ご自宅へ案内していただきました。
お身体を拝見した私は、筋の委縮や関節の拘縮が随所にみられるなか、できるだけシンプルな方法で行えるよう考えました。
同席されていた、ご家族や身内の方でもできるように。
はじめは、私がある程度行った上でご家族たちに教え、やっていただきながら進めました。
みなさん真剣そのものです。
後半になると、私はやり方を簡単に伝えるだけで、あとはご家族たちで行っていただきました。
受けていてどう感じるのか、患者さんにも伺いながら進めたのですが、たどたどしいながらも言葉で、そして身体で心地よさを表現されています。
そして終了後、ベッドの上にはリラックスして力みなく休まれている患者さんの姿がありました。
限られた範囲ながら、身体の動きも楽そう。
何より表情が穏やかでした。
その変化に私も内心驚きました。
手技療法を専門にしている人ですら、みんながこのような結果を出すことは難しいでしょう。
さいごに、私が手順を話しながらやっているところを動画に撮っていただきました。
一度感覚をつかまれているので、確認用にきっと役立つはず。
雨足も弱まった帰り道、運転しながら高校生だった25年前のことを思い出していました。
病床の祖父を見舞った時、意識のない身体を訳も分からずさすっていたら、険しかった表情が和らいだこと。
この道を志す、自分の原点になった出来事です。
今回の経験から改めて感じました。
「想い」や「願い」あっての技術だと。
かといって精神論を振りかざすつもりはありません。
技術は技術、磨かなければならないものです。
でも「想い」や「願い」がないと、技術は十分に力を発揮できない。
医学としてはふさわしくない考えかもしれないけど、医療としては間違っていない感覚だと思います。
そして、だからこそ人間が人間を診る価値がある。
コンピューターがさらに進歩して、ベテランの医師でも発見が難しいような異常を見つけ出せるようなる。
それまで不可能だった部分の手術も、マイクロロボットで行えるようなる。
そのようになったとしても、人間が人間を診る価値は変わらないでしょう。
むしろそれくらい技術が進歩しても、やはり満たされない何かがあると気づいたとき、その重要性が改めて認識されるのではないでしょうか。
人間が人間を診るということは、病気が治るとか治らないということも越えたところに、その価値があるように思います。
お世話になっている方から連絡をいただきました。
進行性の神経難病で、全介助が必要な状態ということでした。
距離的にも治療院の現状からも往診は難しいのですが、日程を調整して昨日仕事を終えた後、車で向かいました。
久しぶりの大雨で、時おりワイパーも効きません。
高速道路もゆっくりしか走れず、約束の時間ギリギリに到着し、ご自宅へ案内していただきました。
お身体を拝見した私は、筋の委縮や関節の拘縮が随所にみられるなか、できるだけシンプルな方法で行えるよう考えました。
同席されていた、ご家族や身内の方でもできるように。
はじめは、私がある程度行った上でご家族たちに教え、やっていただきながら進めました。
みなさん真剣そのものです。
後半になると、私はやり方を簡単に伝えるだけで、あとはご家族たちで行っていただきました。
受けていてどう感じるのか、患者さんにも伺いながら進めたのですが、たどたどしいながらも言葉で、そして身体で心地よさを表現されています。
そして終了後、ベッドの上にはリラックスして力みなく休まれている患者さんの姿がありました。
限られた範囲ながら、身体の動きも楽そう。
何より表情が穏やかでした。
その変化に私も内心驚きました。
手技療法を専門にしている人ですら、みんながこのような結果を出すことは難しいでしょう。
さいごに、私が手順を話しながらやっているところを動画に撮っていただきました。
一度感覚をつかまれているので、確認用にきっと役立つはず。
雨足も弱まった帰り道、運転しながら高校生だった25年前のことを思い出していました。
病床の祖父を見舞った時、意識のない身体を訳も分からずさすっていたら、険しかった表情が和らいだこと。
この道を志す、自分の原点になった出来事です。
今回の経験から改めて感じました。
「想い」や「願い」あっての技術だと。
かといって精神論を振りかざすつもりはありません。
技術は技術、磨かなければならないものです。
でも「想い」や「願い」がないと、技術は十分に力を発揮できない。
医学としてはふさわしくない考えかもしれないけど、医療としては間違っていない感覚だと思います。
そして、だからこそ人間が人間を診る価値がある。
コンピューターがさらに進歩して、ベテランの医師でも発見が難しいような異常を見つけ出せるようなる。
それまで不可能だった部分の手術も、マイクロロボットで行えるようなる。
そのようになったとしても、人間が人間を診る価値は変わらないでしょう。
むしろそれくらい技術が進歩しても、やはり満たされない何かがあると気づいたとき、その重要性が改めて認識されるのではないでしょうか。
人間が人間を診るということは、病気が治るとか治らないということも越えたところに、その価値があるように思います。