≪前回のつづき≫
臨床において、姿勢構造モデルなどを利用して全身から診るべきか、症状に近い部位の緊張の分布から診て地道に広めていく方法を取るべきか?
みなさんはどのように考えられたでしょうか?
私はこのブログで、経験が浅いうちは局所からきちんと診ていくことを強調していますが、それはあくまで学習の進め方についての個人的な考えです。
より広い視点に立てば「全身から」と「局所から」というのは対立する考えではなく、互いに補い合う関係だと思っています。
身体をパターンで捉えるというのは、ひとつの視点からみた考え方なので、それに当てはまらないケースも出てくる可能性があります。
そのときには、地道に局所から隣へ隣へと進めていくことで、その患者さん固有の問題を発見しやすくなるはずです。
反対に局所から地道に進めていくのは丁寧ですが、当然ながら全体像をつかむまでには時間が掛かります。
大まかにでもパターンとして捉えたほうが、仕事はスピーディーです。
どんなところに勤めていても、時間的に制約があるなかで治療をしているはずなので、スピードも大切な条件になります。
このように、全体を捉えた上でポイントを絞り込んでいくのも、局所から全体に広げていくのも、どちらかが正しくてどちらかが間違っているという問題ではありません。
ポイントなのは「考え方」という思考ツールの使い分けですね。
≪ 「直接的治療と遠隔的治療(直談判と根まわし)」もご参照ください≫
推論法なら演繹法と帰納法、組織ならトップダウン型やボトムアップ型のどらが絶対的に正しいというのではなく、状況に応じて使い分ける、変化させることが大切ということと同じです。
ベテランの方たちは意識的あるいは無意識的に、両者の間を自由に反復横とびして使い分けているのではないかと思います。
使い分ける判断の基準は、時間的な制約がある中で自分の技量に応じ、全身からと局所から、どちらの方法がより早く、あるいは持続して患者さんの苦痛を減らすことができるかということ。
わからなければ自分の技量と患者さんの状態から判断して、よりリスクの少ないほうから始めましょう。
いずれにせよ自分の技量を知っておく、というのがポイントです。
何度もお話ししてきた、身の丈に応じた臨床ですね。
私の場合を振り返ると、急性期なら全身から(離れたところから)、慢性期なら局所からという感じですが、いつでもその通りとは限りません。
(東洋医学の書「黄帝内経:素問」にある「急なれば則ちその標を治し、緩なれば則ちその本を治す」とはちょっと違う考え方かもしれませんね。)
より的確に判断するには経験の積み重ねが求められますが、とにかく今の自分にできるベストのことを行っていきましょう。
それでも決めかねますと迷ってしまう方、禁忌と適応さえ見分ければ心配ないですよ。
病的な状態というのは私たちが学生時代、生理学のいちばん初めに習った生命が一定の状態を保とうとする力であるホメオスタシス(恒常性)が破綻した状態です。
手技療法が対象としているのは体性機能障害ですから、この場合は運動器系の機能的なホメオスタシスが破綻して、腰痛や肩・膝の痛みが出ているということになります。
そして、破綻したホメオスタシスを維持できるまで戻すことができれば、回復可能なものであるなら、生体はそれ自身の力で治すことができるはずです。
「自分たちの仕事は、患者さん自身のホメオスタシスが有効に働けるところまで持っていくこと。
それができるなら、基本的な考え方として上からでも下からでも、前からでも後ろからでも、左右のどちらからアプローチしても構わないのではないか。
さまざまな考え方を持ったアプローチが数多く存在できるのも、それぞれの方法がホメオスタシスの回復に役立っているからだろう。」
このように考えるようになってから、私は方法論や手法の違いにとらわれなくなりました。
機能障害から回復するルートは、ひとつではありません。
それさえ理解できれば、自分が納得できるルートから進み、結果が思わしくなければ、異なる方向からアプローチすればよいわけです。
ところで、学んでいく順序としては姿勢構造モデルなどの「全身から」か緊張の分布をみるなどの「局所から」のどちららかがよいのでしょう?
私は「局所から」を勧めていますが、この場合も自分の好みに合った方法から学んでいけばよいと思います。
パターンのモデルを勉強していて行き詰ったら、地道に局所から進めていく方法に切り替えてもよいでしょうし、反対に地道に進めていてもどかしくなったなら、全身を捉えるパターン的な見方を学んでもよいでしょう。
大切なのは学ぶ側の個性や状態に応じて、さまざまな学び方のルートがあるということだと思います。
最終的にはいろいろな角度から、診られるようになればいいわけです。
そのなかで私は、局所から緊張の分布をみて地道に広げていくルートを整備して、後輩たちが学びやすいようにしておきたいと考えています。
局所を診ること、全体を診ることはよく話題になるので、今年を締めくくるものとしてこのお話しをしておきたいと思いました。
思いつくまま書いたので、ちょっとまとまりがなかったけど。
さて、脱線ついでのお話しで、前回・前々回でご紹介した呼吸を用いたモビライゼーションを練習していて「上手く肋骨を固定できないっ」と困った方もいらっしゃるのではないでしょうか。
その悩みが今回のテクニックも含め、あらゆるテクニックを効果的に用いる上で、大切なポイントになってきます。
新年第一回目となる次回は、そのポイントについてのお話しです。
臨床において、姿勢構造モデルなどを利用して全身から診るべきか、症状に近い部位の緊張の分布から診て地道に広めていく方法を取るべきか?
みなさんはどのように考えられたでしょうか?
私はこのブログで、経験が浅いうちは局所からきちんと診ていくことを強調していますが、それはあくまで学習の進め方についての個人的な考えです。
より広い視点に立てば「全身から」と「局所から」というのは対立する考えではなく、互いに補い合う関係だと思っています。
身体をパターンで捉えるというのは、ひとつの視点からみた考え方なので、それに当てはまらないケースも出てくる可能性があります。
そのときには、地道に局所から隣へ隣へと進めていくことで、その患者さん固有の問題を発見しやすくなるはずです。
反対に局所から地道に進めていくのは丁寧ですが、当然ながら全体像をつかむまでには時間が掛かります。
大まかにでもパターンとして捉えたほうが、仕事はスピーディーです。
どんなところに勤めていても、時間的に制約があるなかで治療をしているはずなので、スピードも大切な条件になります。
このように、全体を捉えた上でポイントを絞り込んでいくのも、局所から全体に広げていくのも、どちらかが正しくてどちらかが間違っているという問題ではありません。
ポイントなのは「考え方」という思考ツールの使い分けですね。
≪ 「直接的治療と遠隔的治療(直談判と根まわし)」もご参照ください≫
推論法なら演繹法と帰納法、組織ならトップダウン型やボトムアップ型のどらが絶対的に正しいというのではなく、状況に応じて使い分ける、変化させることが大切ということと同じです。
ベテランの方たちは意識的あるいは無意識的に、両者の間を自由に反復横とびして使い分けているのではないかと思います。
使い分ける判断の基準は、時間的な制約がある中で自分の技量に応じ、全身からと局所から、どちらの方法がより早く、あるいは持続して患者さんの苦痛を減らすことができるかということ。
わからなければ自分の技量と患者さんの状態から判断して、よりリスクの少ないほうから始めましょう。
いずれにせよ自分の技量を知っておく、というのがポイントです。
何度もお話ししてきた、身の丈に応じた臨床ですね。
私の場合を振り返ると、急性期なら全身から(離れたところから)、慢性期なら局所からという感じですが、いつでもその通りとは限りません。
(東洋医学の書「黄帝内経:素問」にある「急なれば則ちその標を治し、緩なれば則ちその本を治す」とはちょっと違う考え方かもしれませんね。)
より的確に判断するには経験の積み重ねが求められますが、とにかく今の自分にできるベストのことを行っていきましょう。
それでも決めかねますと迷ってしまう方、禁忌と適応さえ見分ければ心配ないですよ。
病的な状態というのは私たちが学生時代、生理学のいちばん初めに習った生命が一定の状態を保とうとする力であるホメオスタシス(恒常性)が破綻した状態です。
手技療法が対象としているのは体性機能障害ですから、この場合は運動器系の機能的なホメオスタシスが破綻して、腰痛や肩・膝の痛みが出ているということになります。
そして、破綻したホメオスタシスを維持できるまで戻すことができれば、回復可能なものであるなら、生体はそれ自身の力で治すことができるはずです。
「自分たちの仕事は、患者さん自身のホメオスタシスが有効に働けるところまで持っていくこと。
それができるなら、基本的な考え方として上からでも下からでも、前からでも後ろからでも、左右のどちらからアプローチしても構わないのではないか。
さまざまな考え方を持ったアプローチが数多く存在できるのも、それぞれの方法がホメオスタシスの回復に役立っているからだろう。」
このように考えるようになってから、私は方法論や手法の違いにとらわれなくなりました。
機能障害から回復するルートは、ひとつではありません。
それさえ理解できれば、自分が納得できるルートから進み、結果が思わしくなければ、異なる方向からアプローチすればよいわけです。
ところで、学んでいく順序としては姿勢構造モデルなどの「全身から」か緊張の分布をみるなどの「局所から」のどちららかがよいのでしょう?
私は「局所から」を勧めていますが、この場合も自分の好みに合った方法から学んでいけばよいと思います。
パターンのモデルを勉強していて行き詰ったら、地道に局所から進めていく方法に切り替えてもよいでしょうし、反対に地道に進めていてもどかしくなったなら、全身を捉えるパターン的な見方を学んでもよいでしょう。
大切なのは学ぶ側の個性や状態に応じて、さまざまな学び方のルートがあるということだと思います。
最終的にはいろいろな角度から、診られるようになればいいわけです。
そのなかで私は、局所から緊張の分布をみて地道に広げていくルートを整備して、後輩たちが学びやすいようにしておきたいと考えています。
局所を診ること、全体を診ることはよく話題になるので、今年を締めくくるものとしてこのお話しをしておきたいと思いました。
思いつくまま書いたので、ちょっとまとまりがなかったけど。
さて、脱線ついでのお話しで、前回・前々回でご紹介した呼吸を用いたモビライゼーションを練習していて「上手く肋骨を固定できないっ」と困った方もいらっしゃるのではないでしょうか。
その悩みが今回のテクニックも含め、あらゆるテクニックを効果的に用いる上で、大切なポイントになってきます。
新年第一回目となる次回は、そのポイントについてのお話しです。