2回にわたって、独創的(独走的?)な治療法や考え方と出会ったときの心得のようなものをお話してきました。
ここでご注意いただきたいのは、知らず知らずのうちに、自分自身が独走的な考え方を持ってしまうことがあるということです
とくに現場に出て3年から5年すぎ、あるていど自信が出てきたときに独走していることがあります。
以前、セミナー中に受講生の方から「あなたのやっていることは邪道ではないか」と言われたことがあります。
21世紀になって「邪道」呼ばわりされるというのも、何やら新鮮な感じがしました
それはともかく指摘された方は、どうやら私が決められたテクニックの「型」から外れた方法をとっていたことを、邪道とおっしゃっていたようでした。
型ももちろん意味がありますが、何より大切なのは患者さんの状態を改善に導くことです。
テクニックは手段ですから、患者さんの状態や個人差に応じて柔軟に変えていく必要があり、そのことをお話したらご理解いただけました。
今でもこの回答や考え方は間違っていないと思っているのですが、ちょうどよい機会だったので、自分が一体どのような考え方をしているのか、他人に説明するときにはどのようにしているのか、自分のスタイルをもう一度見つめなおしてみることにしました。
私自身、アマノジャクなところがあり、人が右を向いたら自分はあえて左を向こうとするところがあるので、知らないうちに独走しているかもしれません。
最近はありがたいことに、手技療法を教える機会をいただくことが増えてきたのですが、セミナーの講師をしていて感じるのが言葉の難しさです。
気をつけないと自分自身は「仮定」のつもりで話していても、使い方によって相手の方は「断定」だと受け止めてしまいます。
「わかる」「明らかになる」ということも難しいものだと思います。
何をもって、そうだといえるのか?
少なくとも身体のことに関しては、確率的な表現しかできません。
たとえ可能性があったとしても、わかってもいないことをわかったことのように言うのは、ありがちですが注意したいところです。
前回、前々回の記事でお伝えした外から入ってきた情報を検討する方法は、そのときに自分の考えを点検する方法として利用したものです。
自分の考え方や治療法には、どのような問題点や欠点があるのかを再検討する。
自分の考え方や治療法の他にはどのようなパターンがあるのか、表を作って組み合わせを調べてみる。
これらはとても役に立ちます。
とはいえ、自分で自分の考え方を点検するというのは、なかなかしんどいことです。
自分には当たり前になっていることの理由を、ひとつずつ考える必要がありますし、だれでも自分には甘くなりがちです。
間違っていたことに気がついても、自分で自分にダメだしするのは、意外に強いストレスがかかります。
けれども、このようなことを地道に行っているうちに、自分の考えていることや行っていることが冷静に眺められるようになりました。
自分の考え方に限界があることを知れば、他の考え方も素直に認められるようになりますし、全体の中での自分の位置付けも何となくわかってくるようになります。
ですから、あるていど経験を積まれた方は、ぜひ自分で自分を点検してみることをおすすめします。
しんどいことですが、なまじセミナーに出たり、新しい本を買うよりも、よほど勉強になりますよ。
このような努力を重ねるうちに磨きがかけられて、独走が独創になっていくのだろうと思います。
今年も残すところあとわずかです。
私ももう一度、自分自身を省みて、新しい年を迎えたいと思います。
それではみなさん、よいお年を。
ここでご注意いただきたいのは、知らず知らずのうちに、自分自身が独走的な考え方を持ってしまうことがあるということです
とくに現場に出て3年から5年すぎ、あるていど自信が出てきたときに独走していることがあります。
以前、セミナー中に受講生の方から「あなたのやっていることは邪道ではないか」と言われたことがあります。
21世紀になって「邪道」呼ばわりされるというのも、何やら新鮮な感じがしました
それはともかく指摘された方は、どうやら私が決められたテクニックの「型」から外れた方法をとっていたことを、邪道とおっしゃっていたようでした。
型ももちろん意味がありますが、何より大切なのは患者さんの状態を改善に導くことです。
テクニックは手段ですから、患者さんの状態や個人差に応じて柔軟に変えていく必要があり、そのことをお話したらご理解いただけました。
今でもこの回答や考え方は間違っていないと思っているのですが、ちょうどよい機会だったので、自分が一体どのような考え方をしているのか、他人に説明するときにはどのようにしているのか、自分のスタイルをもう一度見つめなおしてみることにしました。
私自身、アマノジャクなところがあり、人が右を向いたら自分はあえて左を向こうとするところがあるので、知らないうちに独走しているかもしれません。
最近はありがたいことに、手技療法を教える機会をいただくことが増えてきたのですが、セミナーの講師をしていて感じるのが言葉の難しさです。
気をつけないと自分自身は「仮定」のつもりで話していても、使い方によって相手の方は「断定」だと受け止めてしまいます。
「わかる」「明らかになる」ということも難しいものだと思います。
何をもって、そうだといえるのか?
少なくとも身体のことに関しては、確率的な表現しかできません。
たとえ可能性があったとしても、わかってもいないことをわかったことのように言うのは、ありがちですが注意したいところです。
前回、前々回の記事でお伝えした外から入ってきた情報を検討する方法は、そのときに自分の考えを点検する方法として利用したものです。
自分の考え方や治療法には、どのような問題点や欠点があるのかを再検討する。
自分の考え方や治療法の他にはどのようなパターンがあるのか、表を作って組み合わせを調べてみる。
これらはとても役に立ちます。
とはいえ、自分で自分の考え方を点検するというのは、なかなかしんどいことです。
自分には当たり前になっていることの理由を、ひとつずつ考える必要がありますし、だれでも自分には甘くなりがちです。
間違っていたことに気がついても、自分で自分にダメだしするのは、意外に強いストレスがかかります。
けれども、このようなことを地道に行っているうちに、自分の考えていることや行っていることが冷静に眺められるようになりました。
自分の考え方に限界があることを知れば、他の考え方も素直に認められるようになりますし、全体の中での自分の位置付けも何となくわかってくるようになります。
ですから、あるていど経験を積まれた方は、ぜひ自分で自分を点検してみることをおすすめします。
しんどいことですが、なまじセミナーに出たり、新しい本を買うよりも、よほど勉強になりますよ。
このような努力を重ねるうちに磨きがかけられて、独走が独創になっていくのだろうと思います。
今年も残すところあとわずかです。
私ももう一度、自分自身を省みて、新しい年を迎えたいと思います。
それではみなさん、よいお年を。