手技療法の寺子屋

手技療法の体系化を夢みる、くつぬぎ手技治療院院長のブログ

自分の独走性をチェックしてみる

2010-12-25 20:00:00 | 治療についてのひとりごと
2回にわたって、独創的(独走的?)な治療法や考え方と出会ったときの心得のようなものをお話してきました。


ここでご注意いただきたいのは、知らず知らずのうちに、自分自身が独走的な考え方を持ってしまうことがあるということです


とくに現場に出て3年から5年すぎ、あるていど自信が出てきたときに独走していることがあります。





以前、セミナー中に受講生の方から「あなたのやっていることは邪道ではないか」と言われたことがあります。


21世紀になって「邪道」呼ばわりされるというのも、何やら新鮮な感じがしました


それはともかく指摘された方は、どうやら私が決められたテクニックの「型」から外れた方法をとっていたことを、邪道とおっしゃっていたようでした。


型ももちろん意味がありますが、何より大切なのは患者さんの状態を改善に導くことです。


テクニックは手段ですから、患者さんの状態や個人差に応じて柔軟に変えていく必要があり、そのことをお話したらご理解いただけました。





今でもこの回答や考え方は間違っていないと思っているのですが、ちょうどよい機会だったので、自分が一体どのような考え方をしているのか、他人に説明するときにはどのようにしているのか、自分のスタイルをもう一度見つめなおしてみることにしました。


私自身、アマノジャクなところがあり、人が右を向いたら自分はあえて左を向こうとするところがあるので、知らないうちに独走しているかもしれません。





最近はありがたいことに、手技療法を教える機会をいただくことが増えてきたのですが、セミナーの講師をしていて感じるのが言葉の難しさです


気をつけないと自分自身は「仮定」のつもりで話していても、使い方によって相手の方は「断定」だと受け止めてしまいます。


「わかる」「明らかになる」ということも難しいものだと思います。


何をもって、そうだといえるのか?


少なくとも身体のことに関しては、確率的な表現しかできません。


たとえ可能性があったとしても、わかってもいないことをわかったことのように言うのは、ありがちですが注意したいところです。





前回、前々回の記事でお伝えした外から入ってきた情報を検討する方法は、そのときに自分の考えを点検する方法として利用したものです。


自分の考え方や治療法には、どのような問題点や欠点があるのかを再検討する。


自分の考え方や治療法の他にはどのようなパターンがあるのか、表を作って組み合わせを調べてみる。



これらはとても役に立ちます。





とはいえ、自分で自分の考え方を点検するというのは、なかなかしんどいことです。


自分には当たり前になっていることの理由を、ひとつずつ考える必要がありますし、だれでも自分には甘くなりがちです。


間違っていたことに気がついても、自分で自分にダメだしするのは、意外に強いストレスがかかります。


けれども、このようなことを地道に行っているうちに、自分の考えていることや行っていることが冷静に眺められるようになりました。





自分の考え方に限界があることを知れば、他の考え方も素直に認められるようになりますし、全体の中での自分の位置付けも何となくわかってくるようになります。


ですから、あるていど経験を積まれた方は、ぜひ自分で自分を点検してみることをおすすめします。


しんどいことですが、なまじセミナーに出たり、新しい本を買うよりも、よほど勉強になりますよ。


このような努力を重ねるうちに磨きがかけられて、独走が独創になっていくのだろうと思います。





今年も残すところあとわずかです。


私ももう一度、自分自身を省みて、新しい年を迎えたいと思います。


それではみなさん、よいお年を。

独創的(独走的?)な考え方と出会ったときには

2010-12-18 20:00:00 | 学生さん・研修中の方のために
前回は、独創的(独走的?)な治療法と出会ったとき、冷静に判断するための問いかけをお話しました。


今回も、もう少しこのテーマについて考えたいと思います。





はじめに、私の昔話から。


まだかけ出しの頃、あるセミナーに出席したときのことです。


講師の先生は、この道の大家ということだったのですが、セミナー中に先生が


「足の親指を車にひかれた人がいた。

親指には東洋医学の経絡(気の流れる道)でいう肝系(足厥陰肝経)が走っている。

だから、3年後に肝硬変になった」


と、何やら当然のことが起こったようにお話されました。





この話を聞いたとき、私は「エ~ッ」と、ビックリたまげてイスから転げ落ちそうになりました。


どう考えても、これだけの話で「だから」に直結するとは思えません。


小僧だった私は、とても質問する勇気も持てなかったのですが、ほかの参加者の方も同じように感じているのではないかと思っていました。





ところが、会場の雰囲気をみてみると、「エ~ッ」どころか「オ~ッ」と感心している様子です。


そのうち講師の先生と取り巻きの人たちが、受講生を同化させて独特の雰囲気(経験されたことがある方はわかると思います)が出来上がりました。


「先生」が「専制」になったわけです。


この雰囲気に、私はもう一回ビックリたまげてしまい「コリャ、ついていけんわ」と会場を後にしました。





きっと、まともに東洋医学を勉強している方が聞いてもビックリするような話だと思います。


これが果たして、そう簡単に「だから」といえるのかどうかちょっと考えましょう。


足の母指が車でひかれたことを「母指の外傷」とし、もう一方を「肝硬変」とします。


すると、母指の外傷の既往が「ある(+)」か「ない(-)」か、肝硬変で「ある(+)」か「ない(-)」かにそれぞれ分けることができ、以下のように2×2の表からA~Dの4つのパターンを想定できます。





この先生は、母指の外傷の既往があり肝硬変でもある「A」の現象に対して、原因と結果の因果関係を説明する「だから」ということばで結び付けています。




この場合、まず最低でも母指に外傷の既往があるのに肝硬変ではない「C」のグループと比較して、統計的に明らかに差があるということを示す必要があります。


(おそらくそんなことはないと思います


そのような差が仮にあったとしても、まだ「だから」という因果関係を示せるわけではありません。


「何らかの関連がある」に留まります。





もし因果関係を示すとしたら、とんでもなく大変なプロセスを経なければならなはずです。


母指外傷の既往がないのに肝硬変になっている、「B」のグループとの違いも示す必要があるでしょう。


考えただけでも気が遠くなります。


ですからこの場合、簡単に「だから」なんて使えません。





とても極端な例でしたが、記事としてこのような話を読んでいるときは、冷静に考えられるでしょうし、自分なら大丈夫と思えるかもしれません。


しかし、いざセミナー会場に入ると集団催眠にかかるのか、自分の状態によってその場の雰囲気に圧倒されることがあるかもしれません。


そのようなとき、自分の頭のなかでこのような表をつくって判断すれば、冷静さを保つことができると思うのですがいかがでしょう。


少なくても他のパターンも視野に入ってくるので、視点が一つに釘づけにならずにすみます。


大切なことは、考え方や発想が硬直化しないことだと思います。


私も自分の判断が常に正しいということはないのですが、少なくとも入ってきた情報に対して、自分なりに検討を加え、盲信(妄信?)を避けるようにしています。





次回も、このテーマをもうちょっとお話ししたいと思います。

独創的(独走的?)な治療法と出会ったときには

2010-12-11 20:00:00 | 学生さん・研修中の方のために
前回ご紹介したような、患部から離れたところに働きかける遠隔的治療には、さまざまな考え方があり、これらはある種パターン化されているのが特徴です。





私もできるわけではないのですが、聞いたことがあるものを思い返しただけでも、ギックリ腰の治療に手の甲を刺激する方法や、足関節の操作で噛み合わせや顎関節の調整をする方法。


どのような異常でも、仙腸関節には必ずアプローチするというものもありますし、仙腸関節よりも腰仙関節のほうが重要なのだという考え方もあります。


はたまた股関節の異常はL1・2、膝関節ならL3・4、足関節ならL5を治療するという話も聞いたことがあります。


そういえば「首は首に通ず」といって、頚部(首)の治療をするために手首と足首を利用するという考えを、ずいぶん昔に教えられたこともありました。


おなじみの手のひら、足うらのツボや、反射ゾーンの刺激療法もこれに含まれるでしょう。


このように手技療法の世界には、身体の診立てについて独創的(独走的?)な治療法が数多くあります。





遠隔的治療についても背景にある考え方は、神経系の反射や構造的なバランスを調整することで状態を変化させるというものですが、エビデンスがハッキリしていなかったり、常識的な考えでは???というものも少なくありません。


現在の常識では考えられないからといって、すばらしい発見が含まれている可能性もあるわけですから、一概に否定はできませんが、玉石混交という感じもぬぐえません。


結局はいろいろ理屈はついていたとしても、そのセラピストの好みに合うものを用いているという印象を持ちます。





ですから、どのような治療法を学んでもよいのですが、新しい治療法と出会ったときには、はじめから素直に鵜呑みにせず、かといって頭から否定もせず、よく考えて取り入れなければいけません。


とくに学生・新卒の方、そして、いろいろあってちょっと自信をなくしている方は、新しい治療法と出会ったときに注意して見ていただきたいところがあります。


それはセミナーの講師など、その方法を教えてくれている先生の様子です。





セラピストも人間ですから、いろいろな人がいます。


なかには断定形で、その治療法は非の打ちどころもない、すばらしいものであると自信にあふれて語る先生もいます。


パフォーマンスも見事なもので、まるで“ジャパネットたかた”の社長さんみたいに、グッと引き込んで会場内に有無を言わさぬ雰囲気を作ってしまいます。


こうなると「講師の先生」が「講師の専制」になるわけです。





人間弱いものですから、不安や迷いが大きい時は、このような人の言葉を聞くと、気持ちがそちらにコロッと転がりやすいものです。


私も経験があるので分かります。


学生や新卒で右も左も分からないうちも、転がりやすいかもしれません。





転がってしまうと、そこから先は科学ではなく信仰の世界になってしまう可能性があります。


神様や仏様を信仰するならともかく、ひとつの治療法や、教えている先生をその対象になるのは大問題です。


というのもそうなると、「エライ先生が言ったのだから間違いない」となって思考が停止し、仮に間違った方向に進んでいるときでも、ブレーキをかけたり軌道修正ができないからです。





そこで、もしそのような先生の話にコロッといきそうなら、自分自身に次の問いかけを行ってみるとよいでしょう。


「その治療法の問題点や欠点にはどのようなものがあるのか」


勇気があれば、直接質問してみてもよいかも・・・。





何の問題や欠点もない治療法などありません。


ですから質問をして、先生がきちんとその回答をするのではなく、感情的な反応をもししたなら、のめり込む前に冷静になって考えましょう。


もしかしたらその先生は、自分の治療法や考え方への思い入れが強すぎて恋に落ちてしまい、「恋は盲目」や「アバタもエクボ」になって、問題点が見えなくなっているのかもしれません。


相手の欠点もわかった上で恋をするならよいのですが、バカップルになるのはちょっといただけませんよね。





次回も、このテーマをもう少しお話ししたいと思います。

直接的治療と遠隔的治療(直談判と根まわし)

2010-12-04 20:00:00 | 学生さん・研修中の方のために
手技療法の世界を見渡すと、体性機能障害に対する治療の進め方について、大きく2つの考えがあると思います。


ひとつは、患部に直接刺激を加えるものです。


これを直接的治療としましょう。


もうひとつは、患部から離れた部位に刺激を加えるもので、これを遠隔的治療とします。


例えば五十肩で肩関節に可動域制限がある場合、肩に対してアプローチするのが直接的治療です。


反対側の肩や股関節、あるいは離れた部位にある反射ポイントなどにアプローチして可動域の改善を図るのが遠隔的治療となります。





この直接的治療と遠隔的治療に対する考え方は、セラピストによって様々ですが、なかには一方を偏って好み、反対の方法に否定的な態度を示す方もいます。


これまで私が出会った方では、直接的治療を好む方で遠隔的治療を「まどろっこしい」とおっしゃり、遠隔治療を好む方では直接治療を「野蛮なもの」と、こっちがビックリしてしまうような発言をする方もいました。


はたして、どちらが良いなど白黒はっきりつけられるものなのでしょうか。





直接的治療と遠隔的治療の違いとは、人間社会なら「直談判」と「根まわし」に当てはめることができます。


直談判は、何かの要望を通したいとき、担当者に直接合って交渉するという方法。とてもストレートですね。


これに対して根まわしは、担当者に関係のある人に話をして、その人から口添えしておいてもらうという方法。


スマートではないかもしれませんが、現実社会では円滑に事を進めるためによく用いられます。





どのような方法が効果的か?それは担当者によって異なります。


直接話すことで希望が通ることもあれば、煙にまかれたり、相手にもされなかったりすることもあるでしょう。


根まわしひとつとっても、担当者の上司あるいは取引先に口添えをお願いした方が良いときもあれば、仲の良い知人が良いときもあります。


場合によっては、好みのタイプの異性から頼まれたら断れないという担当者もいるかもしれませんね。


反対に根まわしなんて小ざかしい方法を嫌い、かえって心象を悪くする担当者もいるでしょう。


このように、ある方法で上手く行くこともあればそうでないときもあり、人間相手に決まった確実な方法はありません。


だから担当者のタイプや特徴を考え、反応をみながら手を打っていく、ということを皆さんもされているのではないでしょうか。





この例えを、要望は治療の目標、直談判は直接的治療、根まわしを遠隔的治療、担当者を患部、上司や知人を遠隔治療の各手法とすれば、機能障害に対する治療の考え方と同じになります。


治療のゴールという目標に向かうべく、患部という担当者のタイプや特徴から原因を見極め、直接的あるいは遠隔的にアプローチしていくわけです。


こうしてみると、直接的治療や遠隔的治療という表現は、刺激の部位というアプローチ方法を示しているだけで、原因は何かを表してはいません。


ですから、個々のケースの原因は何かという視点が抜けたまま、直接的と遠隔的のどちらが良いかを白黒つけようとするのは無意味だということになります。





直接的治療や遠隔的治療という考え方も、テクニック同様に手段に過ぎず、要は使い分けが大切ということですね。


例えば、肩関節の可動域制限の場合、その原因が関節周囲の筋トーンの変化によるものなら、遠隔的治療で反射的にトーンに変化を与えて改善を促がすという方法もとれますが、関節包に拘縮を起こしていたなら、関節モビライゼーションなどによって直接的に治療する必要があるということになります。


両者が混在していたら、それぞれを組み合わせて使う。


ちょうど、ある程度根まわしをしてハードルを下げたところで、直談判をして交渉を進めやすくするといった具合に。


つまるところは、評価が重要だということになります。


いかがでしょう?例えにしたら、イメージとしてつかみやすくなったでしょうか。





ただ、例に示したようなシンプルなケースならよいのですが、異常が分散して存在するケースなどは、何をもって原因とするのかということになると、それをクリアに説明するのはたいへん悩ましいことです。


それは、人間の身体をどのように捉えるのかという、そのセラピストの持つ基本的なスタンスの問題になるからです。


はじめから独自のスタイルを持つというのは難しいので、テクニックを通してその考え方を学び、取捨選択して自分なりのものを組み立てていくことになります。


次回は遠隔的治療など、自分にとって新しい考え方と出会ったときの注意点について少しお話ししたいと思います。