ブログのコメント欄にいただいたご質問。
感じるところがあったので転載し、セラピストの主体性についてなど雑感を述べました。
まだ経験は浅いけれど熱心にさまざまなアプローチを学んでいる方に、特にご覧いただきたいと思います。
《質問者さん》
こんにちは。
コメントへのご返信ありがとうございました。
くつぬぎさんにご指摘頂いたようにとりあえず、自分で調べるという癖はつけなければいけないと思い反省しております。
ご指摘して頂きありがとうございます。
関節のあそびについて、いろいろな書籍やネット検索で調べました。
様々な用語の理解や、間接法での動揺法なども自分でしっくりくるものを見つけました。
ただ一つだけ、いろいろな物で調べても分からなかったことがあります。
くつぬぎさんにも質問させて頂いた内容なのですが、全ての滑膜関節に遊びがあるというのは理解出来ました。
その遊びの方向についてなのですが前後、側方、回旋、牽引、圧縮があると書かれていましまたが、これは全ての関節にこれらの方向の遊びがあるということなのでしょうか?
ネットや書籍では全ての方向ではなく、各々の関節ごとに各々の方向の遊びの検査法があったのですが、それぞれの関節の遊びの方向は様々で、上記全てが書かれてないのも沢山ありました。
例えば中手骨間関節であれば前後、回旋のみなどです。
これは物理的に他の方向の遊びがないから書かれていないのか、それとも他の方向の遊びもあるけど検査、治療の仕方が無いから書かれていないのか
どちらなのか疑問になりました。
治療の際には、全ての方向の制限を見つけ、治療した方が効果があると思うので、もしよろしければ教えて頂けないでしょうか?
自分で中手骨間関節の遊びを作る際に側方や圧縮の方向も意識しながらやっているのですが実際には、ホントにその方向に遊びがあるのか分かりません。
仮に、意識しながらやっていたとしても前後や回旋の方向での遊びがついただけではないかとも思います。
(くつぬぎ 注)中手骨間関節や中足骨間関節、肩甲胸郭関節は、滑膜関節ではないものの働きとしてはそれに準じるので機能的関節とされています。
そのため厳密な意味での関節のあそび(関節包のゆとり)とはいえないのですが、問題の中心ではないのでひとまず脇に置いておきます。
《私の回答》
こんばんは。
関節のあそびの方向について、側方や圧縮と特定の方向が示されているのはある意味便宜的なものと私は受け止めています。
関節のあそびはあらゆる方向に存在しているというのは、イメージするなら私たちがTシャツを着ているようなもの。
ふつうは動きやすように、ある程度ゆとりのあるシャツを着ると思います。
そのゆとりはあらゆる方向に動きますね。
関節のあそびも、シャツを着た時のゆとりと同じです。
そしてシャツの一部を握れば、その部分の動きが悪くなる。
特定の方向へ関節機能障害が発生した状態です。
握った部位を適切に緩めるのが関節モビライゼーションとなります。
シャツはあらゆる部分を握ることが出来るように、関節機能障害もあらゆる方向に発生する可能性があります。
しかし、やみくもに探しても見つかりにくいし、セラピスト同士が互いに情報を共有しにくいので、教科書的に方向を定めておく必要があるのだろうと思います。
テキストで特定の方向しか紹介していないのは、ページ上の問題か、その関節に特に特徴的な制限を示しているのでしょう。
《質問者さん》
ご返信ありがとうございます。
分かりやすい説明ありがとうございます!
シャツの例えだとイメージしやすいです。
要するに、関節の機能障害はあらゆる方向に起きるので、教科書だけでの方向でなく直接法では、その関節が一番制限がある方向に狙って治療するということですね!
ありがとうございます!
・・・・・・・
今回のような疑問は、比較的学びはじめの熱心な方によくみられるものです。
(何を隠そう、私がそうでした!!)
いろいろな情報に目を白黒させてしまうのですね。
これまで知らなかった世界を学ぶのだから、当然といえば当然のことかもしれません。
それにしても、狭い手技療法の世界だけを眺めても情報が多いです。
知識が細分化され、新たな分類がなされるにつれて、新たな治療法として発表され、セミナーが開催され、資格ビジネス化していく。
新たな分類が悪いわけではありません。
さまざまな視点があることで、発見もあるでしょうし、情報も共有できる。
より効率的にもなりえるので必要です。
資格ビジネスが悪いわけではありません。
有効な方法をより早く広く普及させるための手段ですし、新たな雇用を生み出して経済を動かすことは今の世の中に必要なことですから。
もっとも、眉をひそめたくなるようなことをしている団体もあるでしょうが。
問題はセラピスト個人の側にあります。
よくないのは、情報に振り回されて主体性をなくしてしまうこと。
権威のある個人やメソッドに対して無条件に受け入れて信じ込んでしまうこと。
そうかと思ったら、しばらくしてまた幸せの青い鳥を探してさまよっていくこと。
つまり、自分で吟味して判断して取り入れられるものを取り入れるのではなくて、特定のアプローチに自分を同一化させてしまうことです。
そうならないためには、自分で身体の情報を感知でき、それを批判的に検討し、目的にかなった操作をコントロールして行えるようになる必要があります。
自分の臨床の責任はあくまで私たち自身にあるのですから、セラピストひとりひとりが主体性を持つことはとても大切。
関節のあそびについて、細かくいえば各関節ごとに方向によって大きい小さいというものはあるでしょう。
ただ臨床では、あらゆる軟部組織があらゆる方向に異常を起こしえる、という前提でのぞんだほうがよいと思います。
そうすると新たな知見で出会った時、自分が感じたあの感覚はこの組織のトラブルだったのか、と体験と知識を結びつけることができます。
確かな手ごたえを感じながら、情報に対して主体的に向き合うことができ、仕事の面白みもより感じることができる。
そのために私は触診の際、あえてはじめから対象とする組織を特定せず「かたさ」や「緊張の分布」を感じ取るという方法を用いています。
そこから解剖学や運動学に照らし合わせる。
モビライゼーションの段階も、5段階や3段階に分けるのではなく、動かし始めから終わりまでの連続的な変化をよく味わい、身体で覚えるようにする。
その上で、いくつかの段階に分類する意味を考える。
感覚という方向から知識を結びつけていく。
これが万能だとは思いませんが、はじめの第一歩を学ぶときに知識の吸収と並行して、あるいはあまりにも頭でっかちになっているときには有効ではないかと思っています。
すべては主体性を持ったセラピストになるという目的のため。
これが私が最も重視していることです。
感じるところがあったので転載し、セラピストの主体性についてなど雑感を述べました。
まだ経験は浅いけれど熱心にさまざまなアプローチを学んでいる方に、特にご覧いただきたいと思います。
《質問者さん》
こんにちは。
コメントへのご返信ありがとうございました。
くつぬぎさんにご指摘頂いたようにとりあえず、自分で調べるという癖はつけなければいけないと思い反省しております。
ご指摘して頂きありがとうございます。
関節のあそびについて、いろいろな書籍やネット検索で調べました。
様々な用語の理解や、間接法での動揺法なども自分でしっくりくるものを見つけました。
ただ一つだけ、いろいろな物で調べても分からなかったことがあります。
くつぬぎさんにも質問させて頂いた内容なのですが、全ての滑膜関節に遊びがあるというのは理解出来ました。
その遊びの方向についてなのですが前後、側方、回旋、牽引、圧縮があると書かれていましまたが、これは全ての関節にこれらの方向の遊びがあるということなのでしょうか?
ネットや書籍では全ての方向ではなく、各々の関節ごとに各々の方向の遊びの検査法があったのですが、それぞれの関節の遊びの方向は様々で、上記全てが書かれてないのも沢山ありました。
例えば中手骨間関節であれば前後、回旋のみなどです。
これは物理的に他の方向の遊びがないから書かれていないのか、それとも他の方向の遊びもあるけど検査、治療の仕方が無いから書かれていないのか
どちらなのか疑問になりました。
治療の際には、全ての方向の制限を見つけ、治療した方が効果があると思うので、もしよろしければ教えて頂けないでしょうか?
自分で中手骨間関節の遊びを作る際に側方や圧縮の方向も意識しながらやっているのですが実際には、ホントにその方向に遊びがあるのか分かりません。
仮に、意識しながらやっていたとしても前後や回旋の方向での遊びがついただけではないかとも思います。
(くつぬぎ 注)中手骨間関節や中足骨間関節、肩甲胸郭関節は、滑膜関節ではないものの働きとしてはそれに準じるので機能的関節とされています。
そのため厳密な意味での関節のあそび(関節包のゆとり)とはいえないのですが、問題の中心ではないのでひとまず脇に置いておきます。
《私の回答》
こんばんは。
関節のあそびの方向について、側方や圧縮と特定の方向が示されているのはある意味便宜的なものと私は受け止めています。
関節のあそびはあらゆる方向に存在しているというのは、イメージするなら私たちがTシャツを着ているようなもの。
ふつうは動きやすように、ある程度ゆとりのあるシャツを着ると思います。
そのゆとりはあらゆる方向に動きますね。
関節のあそびも、シャツを着た時のゆとりと同じです。
そしてシャツの一部を握れば、その部分の動きが悪くなる。
特定の方向へ関節機能障害が発生した状態です。
握った部位を適切に緩めるのが関節モビライゼーションとなります。
シャツはあらゆる部分を握ることが出来るように、関節機能障害もあらゆる方向に発生する可能性があります。
しかし、やみくもに探しても見つかりにくいし、セラピスト同士が互いに情報を共有しにくいので、教科書的に方向を定めておく必要があるのだろうと思います。
テキストで特定の方向しか紹介していないのは、ページ上の問題か、その関節に特に特徴的な制限を示しているのでしょう。
《質問者さん》
ご返信ありがとうございます。
分かりやすい説明ありがとうございます!
シャツの例えだとイメージしやすいです。
要するに、関節の機能障害はあらゆる方向に起きるので、教科書だけでの方向でなく直接法では、その関節が一番制限がある方向に狙って治療するということですね!
ありがとうございます!
・・・・・・・
今回のような疑問は、比較的学びはじめの熱心な方によくみられるものです。
(何を隠そう、私がそうでした!!)
いろいろな情報に目を白黒させてしまうのですね。
これまで知らなかった世界を学ぶのだから、当然といえば当然のことかもしれません。
それにしても、狭い手技療法の世界だけを眺めても情報が多いです。
知識が細分化され、新たな分類がなされるにつれて、新たな治療法として発表され、セミナーが開催され、資格ビジネス化していく。
新たな分類が悪いわけではありません。
さまざまな視点があることで、発見もあるでしょうし、情報も共有できる。
より効率的にもなりえるので必要です。
資格ビジネスが悪いわけではありません。
有効な方法をより早く広く普及させるための手段ですし、新たな雇用を生み出して経済を動かすことは今の世の中に必要なことですから。
もっとも、眉をひそめたくなるようなことをしている団体もあるでしょうが。
問題はセラピスト個人の側にあります。
よくないのは、情報に振り回されて主体性をなくしてしまうこと。
権威のある個人やメソッドに対して無条件に受け入れて信じ込んでしまうこと。
そうかと思ったら、しばらくしてまた幸せの青い鳥を探してさまよっていくこと。
つまり、自分で吟味して判断して取り入れられるものを取り入れるのではなくて、特定のアプローチに自分を同一化させてしまうことです。
そうならないためには、自分で身体の情報を感知でき、それを批判的に検討し、目的にかなった操作をコントロールして行えるようになる必要があります。
自分の臨床の責任はあくまで私たち自身にあるのですから、セラピストひとりひとりが主体性を持つことはとても大切。
関節のあそびについて、細かくいえば各関節ごとに方向によって大きい小さいというものはあるでしょう。
ただ臨床では、あらゆる軟部組織があらゆる方向に異常を起こしえる、という前提でのぞんだほうがよいと思います。
そうすると新たな知見で出会った時、自分が感じたあの感覚はこの組織のトラブルだったのか、と体験と知識を結びつけることができます。
確かな手ごたえを感じながら、情報に対して主体的に向き合うことができ、仕事の面白みもより感じることができる。
そのために私は触診の際、あえてはじめから対象とする組織を特定せず「かたさ」や「緊張の分布」を感じ取るという方法を用いています。
そこから解剖学や運動学に照らし合わせる。
モビライゼーションの段階も、5段階や3段階に分けるのではなく、動かし始めから終わりまでの連続的な変化をよく味わい、身体で覚えるようにする。
その上で、いくつかの段階に分類する意味を考える。
感覚という方向から知識を結びつけていく。
これが万能だとは思いませんが、はじめの第一歩を学ぶときに知識の吸収と並行して、あるいはあまりにも頭でっかちになっているときには有効ではないかと思っています。
すべては主体性を持ったセラピストになるという目的のため。
これが私が最も重視していることです。