今日は大みそかですね。
どのようなことを書こうか考えていたのですが、今年のさいごを飾るにあたって、現在の私の治療スタンスについて少しお話ししようと思います。
最近の私は、手技療法によって「疲れ」をとることに、専念していることが多いかもしれません。
「疲れをとる」「疲労回復」などという表現を使うと、「んっ
」と違和感を持って誤解をする方もいらっしゃるかもしれません。
この「疲れ」が意味するところついては、年明けにお話しするとして、私の治療院にいらっしゃる方は、とにかく疲れているという方が多いです。
典型的なものは、疲れがたまりすぎて機能障害を回復させるチャンスがなかなかつくれず、悪化させているというパターンです。
それが、頚肩部に起これば胸郭出口症候群や肩関節周囲炎となりますし、腰部に起これば腰痛と名前がつくわけです。
それぞれの施設で利用される患者さんに特徴はあると思いますが、みなさんの職場にも同じようなタイプの方は少なくないのではありませんか。
私は触診するときに「軟部組織の緊張の分布をみる」ということを自分でも行っていますし、みなさんにもオススメしています。
この「緊張の分布をみる」ということは「疲れの分布をみる」ということでもあります。
患者さんの身体に触れ、緊張の分布をみていると、その方が日ごろ、どのような身体の使い方をしているかが想像できます。
緊張の分布とは、その患者さんがどのように仕事や家庭など周囲の環境に接し、適応しようとしているのかという表れ、身体に残った痕跡です。
言い換えると、その方の生きざまが表れているといっていいと思います。
その生きざまに触れて感じとったとき、「おつかれさまです」という気持ちがこみ上げてきてしまいます。
人員が減らされて仕事が増えてしまい、時間内で処理しきれず残業続きでがんばっている人や、自宅に持ち帰って仕事をしている人。
さまざまな人間関係の中で挟みうちにあって身動きが取れなくなり、憔悴しきっている人。
私がケアマネの仕事をしていた頃も気になったのは、くたびれきっている利用者さんの家族や、仕事で心身ともに滅入りながらも頑張っている看護職や介護職の人でした。
みんなそれぞれ悩みを抱え、たいへんな思いもしながら暮らしています。
(斉藤和義さんの曲「おつかれさまの国」のPVをみるとなぜかジーンとしてしまいます。
)
そうした姿を手を介して感じとったとき、「早くこの疲れを除いてあげたい」という思いになります。
もちろん、感情移入には注意しないといけませんから冷静さも失わないようにしていますが、私の治療はこのような思いが土台になっています。
(私のスタンスについては、「手技療法習得へのステップ3‐ トリートメント その6」 弊院サイト「なぜ『手技』治療院なのか」もよろしければご参照ください。)
身体を診ていると、疲れた部位に直接症状が出ているところもありますし、そこが症状を出していなくても周囲に負担をかけ、発症と持続に関係しているようなところもあります。
また、今は症状を出していなくても、いずれ出すであろうと予想できるところもあちらこちらにあります。
そのような疲れをみつけると、優先順位を決めながら時間の許す範囲で除くようにしています。
余談ですが、私の治療院では、患者さんひとり当たり50分ほど時間をとって診ています。
大ざっぱな内訳として、症状に直接関係している部位に対して5分~10分ほど。
症状に負担をかけている周囲の状況に対して10分~20分ほど。
残りの時間は問診や説明も含め、潜在的な異常がないか調べて取り除いていったり、ストレスなどで心身ともに滅入っているようなら、リラックスできるように誘導することもあります。
主訴が複数の部位にまたがるなら調整しながら進め、さいごにセルフケアの方法をアドバイスします。
姿勢構造的・運動機能的な説明モデルも、目的を達するために都合のよい解釈を、その場その場で勝手に組み立てて使っています。
私がとっている方法は、評価と治療、あるいは治療と予防の境界がはっきりしないなど、問題となるところがあるかもしれません。
意地悪にみると行き当たりばったり的なアプローチともいえますし、決してそうではないのですが、漫然と行っているようにみえるかもしれません。
それに、評価によって症状を引き起こしている部位を特定し、特異的なアプローチを行い、再評価によって治療効果を判定してデータを集積し、ひいてはエビデンスを構築する、ということには不向きです。
もちろん、臨床から研究へとつなげていくことが大切だということもよく理解しているつもりです。
一方で、さまざまな要因が折り重なって複数の部位に愁訴を抱え、苦しい思いをしている患者さんもいらっしゃいます。
その原因が体性機能障害であり、適応と禁忌の鑑別さえできていれば、疲れのボリュームを減らしてとにかく治るチャンスをつくりやすくする、というスタイルも、ひとつの方法としてあっていいのではないかと考えています。
これを「おつかれさま」のケアと勝手に呼んでいて、慢性痛にアプローチするときの考え方のひとつにしています。
その中で、一定の傾向が感じられたら、その特徴を整理してパターン化し、多くの仲間と共有できるように研究していくという流れができればベストだと思います。
また、セラピストの経験が少ないうちは、患者さんの複雑な状態に圧倒され、どのように治療を進めていってよいかわからなくなることもあるかもしれません。
そのようなときも、このような「おつかれさま」のケアというスタイルは使えるのではないかと思います。
疲れのボリュームを減らした後に残っている部位は、より強い機能障害が存在しているところのはずです。
残ったそれらに対して、理論立った姿勢構造的・運動機能的な説明モデルを適用してアプローチしていくという流れなら、経験の浅い方にも比較的まとめやすいのかもしれません。
「ウム、一理あるかも
」と感じられたら、取り入れていただければと思います。
さて、今年もいよいよ最後になりました。
今年は大きな災害が重なり、その影響を受けてたいへんな一年だったという方も大勢いらっしゃると思います。
またそれらの直接的な影響はなくても、仕事やプライベートで何かと大変だったという方も多いでしょう。
その意味では、私たちも「おつかれさま」な人のひとりです。
でもこうして、このブログを読んでいただけているということは、みなさんがんばってこの一年を乗り切って来られたいうことです。
今年の最後を締めくくるにあたって、お互いの、そして自分自身の労をねぎらってあげましょう。
それでは「みなさん、今年も一年、本当におつかれさまでした。
来年はよい年になるよう、がんばりましょう。」
【おまけの話】
本文中に紹介した斉藤和義さんは、私の好きなアーティストのひとりです。
最近では、ドラマ「家政婦のミタ」のエンディングで斉藤さんの曲が使われていました。
斉藤さんがデビューした年に、私が故郷の大阪から東京へ上京したということが関係あるのかないのか、デビューした時から好きでした。
当時のお気に入りだった曲は、ファーストアルバム『青い空の下』に収録されていた「tokyo blues」という曲です
斉藤和義「tokyo blues」
あの頃は、歌詞でうたわれている「井の頭通り」と「環状八号線」が交差した所の近所にある、杉並区内の新聞販売店に住み込んでいました。
朝夕刊の配達の時には自転車に乗りながら、この曲をよく口ずさんだものでした。
けだるくて退屈な毎日をうたっているところが、のんびりダラダラと新聞を配っている時の自分の姿とピッタリ合っていました。
あれからもうすぐ19年になろうとしています。
みんなと同じように希望と不安が入り交った学生生活を送っていましたが、歌詞にあるような「割れんばかりの夢つめ込んだ 風船はしぼみっぱなし」ではないよと当時の私にそっと伝えたい、そんな気持ちです。
どのようなことを書こうか考えていたのですが、今年のさいごを飾るにあたって、現在の私の治療スタンスについて少しお話ししようと思います。
最近の私は、手技療法によって「疲れ」をとることに、専念していることが多いかもしれません。

「疲れをとる」「疲労回復」などという表現を使うと、「んっ

この「疲れ」が意味するところついては、年明けにお話しするとして、私の治療院にいらっしゃる方は、とにかく疲れているという方が多いです。

典型的なものは、疲れがたまりすぎて機能障害を回復させるチャンスがなかなかつくれず、悪化させているというパターンです。
それが、頚肩部に起これば胸郭出口症候群や肩関節周囲炎となりますし、腰部に起これば腰痛と名前がつくわけです。
それぞれの施設で利用される患者さんに特徴はあると思いますが、みなさんの職場にも同じようなタイプの方は少なくないのではありませんか。
私は触診するときに「軟部組織の緊張の分布をみる」ということを自分でも行っていますし、みなさんにもオススメしています。

この「緊張の分布をみる」ということは「疲れの分布をみる」ということでもあります。
患者さんの身体に触れ、緊張の分布をみていると、その方が日ごろ、どのような身体の使い方をしているかが想像できます。

緊張の分布とは、その患者さんがどのように仕事や家庭など周囲の環境に接し、適応しようとしているのかという表れ、身体に残った痕跡です。
言い換えると、その方の生きざまが表れているといっていいと思います。
その生きざまに触れて感じとったとき、「おつかれさまです」という気持ちがこみ上げてきてしまいます。
人員が減らされて仕事が増えてしまい、時間内で処理しきれず残業続きでがんばっている人や、自宅に持ち帰って仕事をしている人。
さまざまな人間関係の中で挟みうちにあって身動きが取れなくなり、憔悴しきっている人。
私がケアマネの仕事をしていた頃も気になったのは、くたびれきっている利用者さんの家族や、仕事で心身ともに滅入りながらも頑張っている看護職や介護職の人でした。
みんなそれぞれ悩みを抱え、たいへんな思いもしながら暮らしています。
(斉藤和義さんの曲「おつかれさまの国」のPVをみるとなぜかジーンとしてしまいます。

そうした姿を手を介して感じとったとき、「早くこの疲れを除いてあげたい」という思いになります。
もちろん、感情移入には注意しないといけませんから冷静さも失わないようにしていますが、私の治療はこのような思いが土台になっています。
(私のスタンスについては、「手技療法習得へのステップ3‐ トリートメント その6」 弊院サイト「なぜ『手技』治療院なのか」もよろしければご参照ください。)
身体を診ていると、疲れた部位に直接症状が出ているところもありますし、そこが症状を出していなくても周囲に負担をかけ、発症と持続に関係しているようなところもあります。
また、今は症状を出していなくても、いずれ出すであろうと予想できるところもあちらこちらにあります。

そのような疲れをみつけると、優先順位を決めながら時間の許す範囲で除くようにしています。
余談ですが、私の治療院では、患者さんひとり当たり50分ほど時間をとって診ています。

大ざっぱな内訳として、症状に直接関係している部位に対して5分~10分ほど。
症状に負担をかけている周囲の状況に対して10分~20分ほど。
残りの時間は問診や説明も含め、潜在的な異常がないか調べて取り除いていったり、ストレスなどで心身ともに滅入っているようなら、リラックスできるように誘導することもあります。
主訴が複数の部位にまたがるなら調整しながら進め、さいごにセルフケアの方法をアドバイスします。
姿勢構造的・運動機能的な説明モデルも、目的を達するために都合のよい解釈を、その場その場で勝手に組み立てて使っています。
私がとっている方法は、評価と治療、あるいは治療と予防の境界がはっきりしないなど、問題となるところがあるかもしれません。

意地悪にみると行き当たりばったり的なアプローチともいえますし、決してそうではないのですが、漫然と行っているようにみえるかもしれません。
それに、評価によって症状を引き起こしている部位を特定し、特異的なアプローチを行い、再評価によって治療効果を判定してデータを集積し、ひいてはエビデンスを構築する、ということには不向きです。
もちろん、臨床から研究へとつなげていくことが大切だということもよく理解しているつもりです。
一方で、さまざまな要因が折り重なって複数の部位に愁訴を抱え、苦しい思いをしている患者さんもいらっしゃいます。
その原因が体性機能障害であり、適応と禁忌の鑑別さえできていれば、疲れのボリュームを減らしてとにかく治るチャンスをつくりやすくする、というスタイルも、ひとつの方法としてあっていいのではないかと考えています。
これを「おつかれさま」のケアと勝手に呼んでいて、慢性痛にアプローチするときの考え方のひとつにしています。

その中で、一定の傾向が感じられたら、その特徴を整理してパターン化し、多くの仲間と共有できるように研究していくという流れができればベストだと思います。
また、セラピストの経験が少ないうちは、患者さんの複雑な状態に圧倒され、どのように治療を進めていってよいかわからなくなることもあるかもしれません。
そのようなときも、このような「おつかれさま」のケアというスタイルは使えるのではないかと思います。

疲れのボリュームを減らした後に残っている部位は、より強い機能障害が存在しているところのはずです。
残ったそれらに対して、理論立った姿勢構造的・運動機能的な説明モデルを適用してアプローチしていくという流れなら、経験の浅い方にも比較的まとめやすいのかもしれません。

「ウム、一理あるかも

さて、今年もいよいよ最後になりました。

今年は大きな災害が重なり、その影響を受けてたいへんな一年だったという方も大勢いらっしゃると思います。
またそれらの直接的な影響はなくても、仕事やプライベートで何かと大変だったという方も多いでしょう。
その意味では、私たちも「おつかれさま」な人のひとりです。
でもこうして、このブログを読んでいただけているということは、みなさんがんばってこの一年を乗り切って来られたいうことです。
今年の最後を締めくくるにあたって、お互いの、そして自分自身の労をねぎらってあげましょう。
それでは「みなさん、今年も一年、本当におつかれさまでした。
来年はよい年になるよう、がんばりましょう。」

【おまけの話】
本文中に紹介した斉藤和義さんは、私の好きなアーティストのひとりです。
最近では、ドラマ「家政婦のミタ」のエンディングで斉藤さんの曲が使われていました。
斉藤さんがデビューした年に、私が故郷の大阪から東京へ上京したということが関係あるのかないのか、デビューした時から好きでした。
当時のお気に入りだった曲は、ファーストアルバム『青い空の下』に収録されていた「tokyo blues」という曲です
斉藤和義「tokyo blues」
あの頃は、歌詞でうたわれている「井の頭通り」と「環状八号線」が交差した所の近所にある、杉並区内の新聞販売店に住み込んでいました。
朝夕刊の配達の時には自転車に乗りながら、この曲をよく口ずさんだものでした。
けだるくて退屈な毎日をうたっているところが、のんびりダラダラと新聞を配っている時の自分の姿とピッタリ合っていました。
あれからもうすぐ19年になろうとしています。
みんなと同じように希望と不安が入り交った学生生活を送っていましたが、歌詞にあるような「割れんばかりの夢つめ込んだ 風船はしぼみっぱなし」ではないよと当時の私にそっと伝えたい、そんな気持ちです。