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手技療法の寺子屋

手技療法の体系化を夢みる、くつぬぎ手技治療院院長のブログ

こまめにしたい手指の手入れ

2011-06-25 20:00:00 | 学生さん・研修中の方のために
手技療法を行っていると、当然ながらよく手を使います。


手指に負担をかけないような工夫は、これまでも折に触れてお話してきましたが、それでも多かれ少なかれ手指を疲れさせます。


手指の疲労が大きくなると、触診の感度やテクニックの精度が落ち、効果を挙げないだけはなく、技術に粗さがでると事故を招くリスクが高くなるかもしれません。


さらには、セラピスト自身も故障を抱えてしまうことになります。


ですから、手指の手入れは大切です。


反対側の手を使い、もう一方の手のケアをするというのも練習になってよいのですが、せっかくですからどちらの手も疲れさせずにケアしたいですね。





そこで私が行っているのが、床をふく掃除道具の柄を使う方法です。




やり方は簡単です。


手のひらの疲労して緊張している部位を柄の先に乗せ、反対側の手を重ねて体重をかけるだけです。





屈筋腱だけではなく、虫様筋や母指内転筋のケアもとってもやりやすいです。





何より朝の掃除のついでにできるのがよいところです。


患者さんにセルフケアをアドバイスするときも同じですが、日常生活で行っている作業のついでできる方法は、実行できる可能性が高くなります。


手をよく使う患者さんにもお話しするのですが、手軽で効果的に行えるのでとても喜んでいただけています。





ちなみに、慢性期に入ったバネ指では、腱が肥大してコブ状になった部位に、柄で圧迫したまま指を曲げ伸ばしするとよいです。





これを毎日行っただけで、自力でバネ指を治した患者さんもいらっしゃいます。


指のこわばりや痛みなど、手指の症状を訴える患者さんにぜひアドバイスなさるとよいですよ。





押さえる柄はどのようなものでもよいのですが、モップのように土台が支えられるようなものの方がやりやすいです。


ペンでも構わないのですが、硬い机の上などで行うと不安定でグラグラするために、手に余計な力が入る可能性があります。


ペンなど土台が安定しないものを使うときは、クッションのきいたイスの座面など、ある程度沈んで支えられるようなものの上で行うようアドバイスするとよいでしょう。





ちなみに私は、バギンスキー式の打鍵器も使っています。



これも土台が安定しているので、なかなか使いやすいです。





本を眺めているときなどに、下の写真のようにイスの座面の上に乗せて使っています。



本来の目的で使う機会よりも多いかも…





そういえば、手指のことで思い出したエピソードがあります。


私がまだ学生の頃、指導を受けていた先生から「指が腫れあがって、パンツの上げ下ろしもできないくらいまで使い込まないと上手くならず、一人前の指にならない」という話をされたことがありました。


それだけ「指を鍛えなさいっ!!」ということをおっしゃりたかったのでしょうし、いろいろなスタンスがあって構わないと思うのですが、私にはどうもこれが受け入れられませんでした。


素朴に「手技療法は自然療法なのに、不自然な指になってどうするのだろう」という疑問があったからです。


それ以降、手技療法という自分なりのこだわりは崩さず、手指の使い方の工夫と並行して、肘や膝など、身体の使えるところはいろいろ使えるように練習しました。


今になっても、それは間違っていなかったと思っています。





余談でしたが、手指に無理をかけすぎて傷めてしまい、手技療法に興味をなくしてしまう仲間がいること、さらにはこの業界から離れてしまう仲間がいることを、私は悲しく思っています。


ですから、手指の状態は常にチェックして余計な疲労を残さないようにしてください。

知っておきたい!東洋の手技療法の歴史 その4

2011-06-18 20:00:00 | 治療についてのひとりごと
伝統的な手技療法は、明治時代に正式な医療から外されて以来、大正・昭和初期と、民間療法として残りました。


お上の評価は低かったようですが、当時は医師の診察を受けるためには高額な費用が必要だったこともあり、民間では盛んだったようです。





ちょうどこの頃、ヨーロッパからマッサージが、アメリカからカイロプラクティックやオステオパシーが入ってきて、それまで日本に存在した按摩や、柔術の流れを汲む「ほねつぎ」と融合し、さまざまな流派?が興りました。


指圧や整体という言葉が生まれたのもこの頃です。


日本に入ってきたオステオパシーが、「山田式整体術」という名前で広められ、さらに新たな「なんとか式」が生まれていったということも、人間の俗っぽいところがあらわれていて、今となっては微笑ましい話しのように思います。


真剣にオステオパシーを学んでいる方にとっては、「こんなことをしたから、正しいオステオパシーが伝わらなかったのだ」と腹立たしいことなのかもしれませんが…。





俗っぽいといえば、日本から離れるのですが、アメリカでオステオパシーがドクター オブオステオパシー(DO)という名称で、メディカル ドクター(MD)と同等の資格として活動し始めていたころ、MD以外が医師として認められるのは好ましくないとして、MDの団体からつまはじきにされたことがありました。


そして、オステオパシーで用いられていた手技療法が、理学療法教育の中に取り入れられようとされた時、DO以外がオステオパシー手技を用いるのは好ましくないとして、オステオパシーの中でそれを妨害しようとした動きもあったそうです。


資格は違えどそこにいるのは人間であり、人のやることなんていつの時代にもそう変わらないものだということを、歴史は教えてくれているような気がします。





さて日本に戻りまして、第二次世界大戦の終戦後、マッカーサー率いるGHQ(日本の占領政策に当たった 連合国軍最高司令官総司令部)が「いかがわしいものは禁止」というおふれを出し、鍼灸あんま師はいったん廃止されたのですが、この仕事に携わっていた視覚障がい者の方々が反対運動を行い、数年後に復活しました。


昭和20年代に、按摩とマッサージと指圧は、按摩マッサージ指圧師としてひとつの資格となりました。


同時期にはり師、灸師と、「ほねつぎ」の技法を資格化した柔道整復師が生まれました。


当時、それまで指圧を業としていた人たちは「指圧は按摩に非ず」と訴えていたそうです。


慰安的(リラクゼーション)なイメージが強かった按摩に対し、指圧とは治療であるという点をPRしたかったのでしょう。


そのような気概は理解できます。





ただ気になるのが、慰安的(リラクゼーション)な方法も、手技療法によるアプローチのひとつですから、さげすむ必要はないのですが、今でも治療家という自負心が強い方の中には、按摩やマッサージを軽く考えている人もいることです。


ひどくなると、自分はマッサージをしているのに、マッサージを非難しているという、まわりから見ていて滑稽な光景も見受けられます。


マッサージはテクニックですから、心地よさを最優先したリラクゼーションとしても用いれますし、身体がどのような状態になっているのか評価して、問題点に対して働きかける治療方法としても用いることができます。


リラクゼーションにしても治療にしても、それぞれの目的に沿ってテクニックを用いればよいだけです。





按摩だ、マッサージだ、指圧だ、カイロだ、オステだ、整体だと、自分の属するグループの立場だけで語られるのはよくあることですが、それもそれぞれ個別の考えを深めるという点では有効なのかもしれません。


しかし、これから求められるのは、さまざまな立場や考え方があることを認めて、それらをいかに統合し、手技療法としてどうあるべきかを考えていくことだと思います。





さて時代は下り、昭和40年代に欧米の影響を受けて理学療法士・作業療法士が誕生しました。


今では別々の資格になっていますが、当時は人手不足を補うためなのか、按摩マッサージ指圧師も一定の研修を受けたら理学療法士を取得できたそうです。


それぞれの時代に存在した事情を知るのも面白いですね。





こうして現在、按摩マッサージ指圧師・柔道整復師・理学療法士・作業療法士、さらには民間資格として整体やカイロプラクティック、オステオパシー(カイロとオステは一部外国では、公的な資格となっています)、リラクゼーションとさまざまな立場の人が日本で手技療法を用いています。





ここで取り上げたいのが、民間資格保持者いわゆる(国家資格の)無資格者についてです。


例えばマッサージは、法律的には医師以外では「あんまマッサージ指圧師」しか行えないということなのですが、患者さんに害のある行為だと立証されない限り、「職業選択の自由」の観点から法的に禁止できないという最高裁判断の判断もあるため、現在まで放置されてきました。


これを不満として、無資格者の取り締まりを強化するように働きかけている団体もあります。


訓練不足の指摘など確かにうなずける所はあるにせよ、上記のように過去に行われてきたことと同じ匂いがしないでもありません。





先ほど述べた、手技療法のあり方にもかかわることですが、私自身は無資格の人だからといって、退場していただくべきとは考えていません。


なぜなら、筋骨格系の機能的な問題で困っている人はたくさんいるからです。


多くのニーズに有資格者だけでは対応しきれないでしょう。


だから、無資格の人たちにも活躍できる場が必要だと思っています。


有資格者同士で、あるいは無資格者との間で、縄張り争いや小競り合いをするよりも、たくさんの困っている人たちを助けるために、スキルを持っている者はどうすべきか、という生産的な視点から話しをすべきではないでしょうか。





そうはいっても、トレーニング不足のまま現場に出てムチャクチャなことをしてしまう人が出ては困るので、世の中的に一応の線引きとしての資格は必要だとは思います。


国家資格ではなくても、ホームヘルパーのように広く認知され、生かされているような資格ができないものでしょうか。


リラクゼーションと治療行為の定義を明確にして、リラクゼーションは基準を満たした団体の行うトレーニングを終了した人が行えるようにし、治療行為は国家資格保持者が行うというのもよいかもしれません。


私自身は看護職や介護職の人たちも、それぞれ習得可能なレベルで手技療法の技術を身につけ、現場で生かしていけばよいのにと思っています。


みなさんはどうお考えになりますか?





さて、このシリーズでは、東洋における手技療法の歴史的なエピソードを取り上げ、思いつくまま私の個人的な意見も添えてご紹介してきました。


私たちが何気なく使っている技法は、本能的な手あてをベースにしながらも、何代にもわたる工夫の積み重ねの結果として使えているものです。


私たちの後ろに、何人もの先輩がつながっているわけです。


私たちは歴史を素直に学び、あるいは反面教師にしながら、伝えられてきたことに磨きをかけて、次の世代にバトンを渡していかなければなりません。


ちょっといつもと趣の異なるシリーズでしたが、皆さんに東洋における手技療法の歴史的エピソードをお伝えしたくてご紹介しました。


より手技療法のことを知っていただく機会になればうれしいなと思います。


知っておきたい!東洋の手技療法の歴史 その3

2011-06-11 20:00:00 | 治療についてのひとりごと
東洋医学で用いられる評価方法は、鍼や漢方では脈をみて身体の状態を判断する「脈診」や舌を診る「舌診」が有名です。


按摩では、同様の目的で背中を診る「背候診(はいこうしん)」や腹部を診る「腹診」がよく用いられていました。


今なら、内臓体壁反射を診ているというとわかりやすいかもしれません。


ただ、私も詳しくないのですが、これですべて説明がつくわけではないようです。





古墳時代に中国医学が日本に伝わって以来、按摩(あんま)もこのような東洋医学的な評価法にのっとって行われる医療として、受け継がれてきました。

それが江戸時代、医療としての手技療法を衰退させてしまうようなことがありました。


それも外部からではなく、当時のセラピスト自身の手によってです。





日本で伝統的に親しまれてきた按摩には、圧迫法や柔捏(じゅうねつ)法、軽擦(けいさつ)法、叩打(こうだほう)法などがありますが、これらは西洋のマッサージとほぼ同様の手技です。


それ以外に、按摩独自の手技として「曲手(きょくて)」というものがあります。


曲手の曲は、曲芸の曲と同じ意味で、動きの巧みさをパフォーマンスとして示すものです。


小指の尺側を当てて手掌をゆらゆら揺らす「柳手」


示~小指までの指先をそろえて当て、PIP関節まで転がすようにまげては元に戻す「車手」


指先を当てたまま、指節関節を曲げ伸ばしする「挫手(くじきて)」などなど。


曲手はあくまでもパフォーマンスなので、心地よさを与えるリラクゼーションの意味はあっても、治療として効果は残念ながら得られにくいものです。





ところがこの「曲手」の巧みさが、あろうことかセラピストの熟練度を示す指標となってしまったのです。


曲手の上手い人が、優秀なセラピストというわけです。


医療とは病んだ人をいかにして回復させるのかというところが重要なのに、手先のパフォーマンスに夢中になってしまったのでした。


そのため、伝統的な東洋医学的な評価もおろそかにされ、衰退していきました。





どのようなかたちであれ、評価を行わなくなったら、医療ではなくなってしまいます。


やがて明治時代になると、こぞって西洋文明を取り入れようとする時代の流れもあって、「按摩は医業の賤技である」という厳しい指摘を受けるようになってしまいました。





この出来事は、現代の私たちによい教訓を与えてくれると思います。





歴史を学ぶ意義は、よりよい未来を作るための糧とするところにあるそうです。


何を学び未来に生かすことができるのか?


技術的なことだけではなく、知識的な側面も含めて、手技療法はどうあるべきなのか?


手技療法に携わる、私たち一人ひとりが考えなければならないことでしょう。


ここはあえて私の意見を控えさせていただきますが、みなさんどうぞ考えてみてください



知っておきたい!東洋の手技療法の歴史 その2

2011-06-04 20:00:00 | 治療についてのひとりごと
今回のシリーズは珍しく歴史の話です。


「歴史なんてあんまり興味がないのですが」という方もいらっしゃると思いますが、自分の仕事がこれまでどのように伝わってきたのかを知るというのも、よいものかもしれませんよ。


気分転換として、気楽にご覧になってください。





さて、今回から日本の手技療法の歴史ですね。


日本の手技療法にまつわる古い記録は、少彦名神(すくなひこなのかみ)を詠った古歌に残されています。



「すくなひこなの にが手にて なでればおちる 毒の虫 押せばなくなる やまいの血潮」



手あての様子が、生き生きと (というより生々しく) 詠われていますね。


少彦名神は医術の神として、日本の古典である「古事記」や「日本書記」に記されています。


ちょうど「ヒポクラテスの誓い」にも出てくるギリシア神話の医術の神々、アポロンやヒギエイアのような存在です。


きっと、手技療法というものは理屈が先にあったのではなく、具合の悪いところを手で押さえる「手あて」という本能的な行為からはじまり、経験的に培われていったはずです。


ですから、世界各地で自然発生的に生まれ、それぞれの文化のもとで発展し、文明が興ったところでは神話や医学書に記録し残されたのでしょう。





最近は、手技療法(徒手療法:マニュアルセラピー)に科学的な検討を加えて構成しようと動きが強くなっています。


それ自体は、とても歓迎すべきことです。


しかし業界を眺めていますと、同時に、自分たちの流派?やコンセプトに、権威や格式を持たせて重みのあるものにしようとする動きもみられるように感じます。


権威や格式が悪いとは思いませんし、そのようなものが必要となる面があることも理解できます。

ただ私は、手技療法はすべての人にとって、最も身近な医療にすべきではないかと思っています。





小さい頃、ころんでぶつけたところを自分で押さえる、または、お母さんにさすってもらっただけで楽になった記憶をお持ちの方は多いと思います。


また私ごとで、先日、わが家の二十歳になる飼い猫が老衰で旅立ったのですが、調子を崩してからから亡くなるまで、私は毎日身体をさすっていました。


猫の身体のことは詳しくありませんが、ただ手が赴くままさすっているだけで、荒かった呼吸が穏やかになりました。

思わず手を差し出さずにはいられない心の働き、これこそが医療の根本、原点であると思います。


手技療法はその原点を、もっとも端的に表現したものではないでしょうか。


学んだ先に専門性の高いものがあったにしても、入口としては手技療法は誰でも行える家庭料理のようなものであるべきではないかと私は考えています。


(私の手技療法の土台になっている考え方については、「手技療法習得へのステップ3-トリートメント その6」 をご参照ください)




大幅に脱線してしまったので、話しを歴史に戻しましょう。





日本に中国医学が伝わったのは西暦550年前後の古墳時代、仏教と同じ時代です。


奈良時代には、按摩(あんま)博士という役職が朝廷にあったそうです。


もっとも当時は、今でいう外科や整形外科と、その後のリハビリまで含めているもので、現在の按摩のイメージとはずいぶん異なっています。


やがて民間にも伝わったのか、あるいはもともと民間にあったものと融合していったのか、今に伝わる按摩が広がっていきました。





時代が下がって、大きな節目を迎えるのが江戸時代、五代将軍徳川綱吉のときです。


当時、綱吉は、あの手この手を尽くしても、なかなか良くならない病気に悩まされていました。


それが、ある視覚障がいをもつ鍼あんま師の治療を受けたところ、すっかりよくなったそうです。


綱吉はお礼に、何か望むものはないか尋ねました。


すると、その鍼あんま師は、「自分と同じ視覚に障がいのある人々のために、この仕事を保護してほしい」と頼んだそうです。


それ以降、世界でもめずらしい、視覚障がい者のため鍼やあんまの仕事が国のバックアップで保護されるようになり、現代に至っています。


ちょっと前まで、「あんまさん」といったら視覚に障がいのある人というイメージが強かったのはそのためです。


有名なのは「座頭一」でしょうか。


五代将軍綱吉といったら犬将軍とも呼ばれ、「生類憐みの令」が有名ですが、このようなこともしていたのですね。





手技療法ひとつとっても、国によってさまざまな歴史があるものだと思います。


さて江戸時代には、日本の手技療法にとってもうひとつ大きな変化がありました。


これは、あまりよくないお話です。


続きは次回に。