手技療法の寺子屋

手技療法の体系化を夢みる、くつぬぎ手技治療院院長のブログ

「神の手」より「孫の手」 ~感謝感謝の6周年~

2011-08-27 20:00:00 | 治療についてのひとりごと
来週の9月2日、開院6周年をむかえます。

ここまでやって来られたのも、多くの方々に支えてきていただいたおかげです。ありがとうございます。





よくいわれることですが、ホントにあっという間の6年でした。


3周年と4周年は記事を書いたのですが、5周年はすっかり忘れてしまうほど、あっという間でした。

「感謝感謝の3周年」
「感謝感謝の4周年」

おかげさまで現在では北海道内・外の多くの方にご利用いただけるようになりました。





なかには、なかなかよくならずに悩み続けた症状が、さいわい回復したことから「神の手だ」と喜んでくださった方もおられます。


「神の手」なんていわれると、もったいなくて困ってしまいますが、つらい症状から開放され、うれしそうな顔してお話される様子を見ていると、こちらまでしあわせになります。


それに正直な気持ちとして、ほめられるというのはいくつになってもうれしいものですね。





しかし、「神の手だ」といわれて浮かれている場合ではありません。


患者さんが「神の手」といいたくなるほど喜ぶということは、それほど悩み苦しんでいたという心の裏返しです。


手技療法が適応となるのは、体性機能障害であり、いわゆる難病や重篤な疾患ではありません。


ただ体性機能障害は、外見上はわからないことも少なくなく、直接生命にかかわるようなことはまずないために、周囲になかなか理解されず深く悩まれる方もいるのです。


そのぶん、よくなったときの喜びも大きさが私たちへの気持ちとして表れるのでしょう。





ところで、症状がなかなかよくならなかったというのは、機能障害が持続していることによって、治るきっかけがつくれなかったということです。


きっかけがつくれなかったというのは、機能障害を処理するアプローチが、まだまだ一般的ではないということです。


手技療法も機能障害に対するアプローチのひとつとして昔からあるものの、現代医療の中で位置づけや役割がはっきり定まらず、周知されてもいません。


これを何とか変えていく必要があります。





手技療法による体性機能障害へのアプローチの仕方は基本的にシンプルです。


(もちろん、複雑に細分化された考え方でアプローチする方法もありますが)


私がやっていることも、ひとことでいえば制限をみつけてリリースする、かたい部分をほぐしているというだけです。


必要に応じて、筋力強化や使い方のアドバイスをしていますが、他に何か奇抜なことをしている訳ではありません。


その患者さん固有の異常を見つけ出すように、細かくていねいにみて、かゆいところに手が届く「孫の手」のような治療を心がけているだけです。


治療の結果、機能障害によって妨げられていた回復力が働き出したら、あとは患者さん自身の力で治っていっています。


つまり「治るべくして治っている」わけです。


「手技療法にできることは土を耕すことと同じ」もご参照ください。)





「治るべくして治るものを、きちんと治すように」これは、私がお世話になった整形外科医の松本不二生先生からいただいたことばです。


私はいつもこのことばと向き合い、どうすればそれができるのか考えながら仕事をしてきました。


社会的・心理的な要因をはじめ、さまざまな理由が重なって起こっている慢性疼痛など、改善の難しいものも確かにあります。


でも、機能障害さえよくなれば改善されるのに、機会に恵まれず悩んでいる患者さんもたくさんいるはずです。


そのような方たちのためにも、体性機能障害に対する手技療法の有効性を、世の中に伝えていく必要があります。





とにかく、できることから進めていかなければなりません。


私も未熟ながら、最近では講師として手技療法を後進の方にお伝えする機会も増えてきました。


私は、かゆいところに手を届かせるような「孫の手」の技術を持ったセラピストになって欲しいという願いをもって、セミナーにのぞんでいます。


この業界を見渡すと、手技療法に熱心で優秀な方が各地で活躍し、後進を指導して手技療法発展のために尽力されています。


こうした多くの方の熱意が実を結んで、優秀なセラピストが数多く生まれ、治るべきものをきちんと治せるようになれば、より多くの人を助けていくことができます。





そしていつか、体性機能障害の治療にかかわることで、「神の手」ということばが使われなくなったら。


そのとき世の中は、今よりもほんの少しだけよくなっているはずです。


そんな世の中になることを私は夢見ています。


歩行をみるトレーニング≪評価について≫ その8

2011-08-20 20:00:00 | 学生さん・研修中の方のために
≪ステップ6≫全体をみる

これまではテーマを決め、局所に視点を定めて「みて」きました。


これは凝視するというみかた、森と木なら、木をみるという方法です。


しかし、全体をみようとしたとき、凝視するような方法は望ましいとはいえません。


全体をみるときには、森をみるようなみかたが求められます。





これについては東洋医学に、とても的確な表現があります。


西洋医学ではみることを「視診」といいますが、東洋医学は「望診」といっています。


景色を「望む」ようにみる。


私が視点の定め方で悩んでいた時、この望診という言葉をみたときに目からウロコが落ちる思いがしました。


「望診」という言葉は、学生の時にも習っていたのですが、知識として知っていただけで、意味を体得していなかったのです。


つまり使えない知識だったわけですね。





望むようにみるといっても、漠然としているのでピンときにくい方がいるかもしれません。


そこで、より具体的な方法をご紹介します。





モデルをみるとき、頭のてっぺんと足の先を同時に意識してみるようにします。


そして、視点をそのまん中あたりに落とすようにします。


まん中を凝視するのではなく、目の力を抜いて、ただ落とす、添えるようにするのがポイントです。


意識はあくまでも両サイドにあります。


このようにみる方法は臨床でも有効です。



慣れないうちは難しいかもしれませんが、両サイドを意識してまん中に視点を落とすという目の使い方で、身体全体をみることができます。





望むように全体をみることで、注意が散漫になってしまうのではないかと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、心配ありません。


これまでひとつひとつの部位に、時間をかけてみてきたことで培われた経験があるので、全体の中で妙な動きをしているところに、何となく目に留まるようになります


ちょうど行進しているグループの中に、違うリズムで行進している人がいたら自然に目がいってしまう、ということと感覚的に似ているかもしれません。


自分で努力して積み重ねてきたことに自信をもって、自分が感じる違和感を大切にしてください。




そして目が留まった部位に対し、これまで局所をみてきたステップで検討していきます。


森から木に視点を移すわけです。


続いて、局所に連動して影響を受ける隣接部位にも視点を移して検討します。


さらに、触診によって組織質感の異常を調べてより詳細に検討を加え、評価を進めて治療方針を決定していきます。


(触診については、「触診で制限をみつけるコツ」シリーズ 「「かたい」ときほど「やさしく」触診する 【 触診五話 その一】」シリーズや 「体性機能障害の評価の流れ1 ~左右の非対称性~」シリーズをご参照ください )





いかがでしたか?歩行のみかたをstep by stepで学んでいくことができるようにご紹介してきましたが、おわかりになったでしょうか。


今回のシリーズでは歩行を取り上げて、体性機能障害を評価する際に必要な、感覚的能力を養うためのステップ化を試みました。


部分的に同じような練習をしている方もいらっしゃるのではないかと思います。

はじめにお話ししましたように、みなさんがよいと思えるところを取り入れるようになさってくださいね。





ではこのシリーズの最後に。


ベテランのセラピストは、テクニックもさることながら、短時間の評価で問題点を見つけ出します。


そのようなことができるようになるためには、経験はもちろん、センスの有無も関係するかもしれません。


私としてはセンスの有無があるのは認めるとしても、技術をステップ化することで、より多く方が技術を身につけられると思っています。


なぜなら、私自身がもともと不器用で、一歩ずつ練習を積み重ねて身につけてきたからです。


しかし、そのようなステップはまだ整備されていません。


そこで今回は、私が自分で試みてきたことを基に、感覚を重視してまとめてみました。





みなさんがお試しになってみて、その印象をお聞かせ下さい。


もし手ごたえを感じたら、多くの方にこの方法を教えてあげてください。


このようにして私たちの仲間のために、着実に感覚を養っていくルートを整備していくことができたらと思います。


歩行をみるトレーニング≪評価について≫ その7

2011-08-13 20:00:00 | 学生さん・研修中の方のために
≪ステップ5≫みる範囲を広げる

いろいろな方の歩行している様子のある部分、今回なら膝の動きをよくみてマネし、動きに伴う緊張の分布を感じとり、それに解剖を照らし合わせることができたら、みる範囲を広げていきましょう。


膝に加えて、股関節や足首のどちらでも結構ですので、これまでと同じプロセスで、みるところからスタートしていきましょう。





例えば典型的なパターンとして、膝が内側に入って外反(knee in)している方なら、それに伴う下腿の外旋によって、つま先が外を向く(toe out)など足首も異常な動きをしているはずです。


いかんいかん、はじめから知識やパターンを当てはめてはいけないのでしたね。


まずは、よくみるところからです。


(knee inしているから、toe outするという因果関係の説明になるのではないというところを注意してください。
この時点では因果関係ではなく、そのような現象が同時に認められるという認識にとどまります)





膝のところをよく練習しておいたら、みて・マネて・感じる能力が養われているので、部位が変わってもはじめよりも楽に行えるはずですよ。


このように、一か所できるようになったら他の部位でも同じようにでき、さらに、みるスピードも上がっていくというのが、感覚から入ることの長所です。


それに、異なる部位をみるといっても、膝を動かした時に感じた筋の緊張は、足首や股関節につながっているので、意識したところが膝だったというだけで、自然とマネできていることも少なくありません。





下肢をみてマネでき、解剖と照らし合わせられるようになったら、骨盤・体幹・上肢・頭頚部へ、みて・マネる範囲を広げていきましょう。


一度に全身すべてを意識するのは難しいですから、テーマを決めて中心となる関節とそれに隣接する関節くらいまでで結構です。


例えば、歩行中の肩甲上腕関節の動きを中心として、肘関節と肩甲胸郭関節の動きをみる、という具合です。





いかがでしょう、こうして全体をみることに、つながっていくのがおわかりいただけたでしょうか。


広い範囲をみられるようになってきたら、次のステップに行きましょう。


いよいよ全体をみる方法です。


ここでは視点の置き方に工夫をします。


みかたがガラッと変わりますよ。


歩行をみるトレーニング≪評価について≫ その6

2011-08-06 20:00:00 | 学生さん・研修中の方のために
≪ステップ4≫緊張の分布と解剖学・運動学を照らし合わせる
異常な緊張の分布を感覚的に捉えたら、続いてそれらが解剖学的に何に当てはまるのか考えます。


わからなかったら解剖図とよくにらめっこして、照らし合わせます。


感覚と解剖学を結び付けましょう。





緊張の分布は、複数の筋骨格系の構造を巻き込んで存在しているはずです。


ときには、筋を横断するようなかたちであったり、同じ筋でも影響を受けている線維と受けていない線維が存在するはずです。


ここで、体性機能障害は解剖学的名称によってクリアに分かれて存在しているとは限らないことを学びましょう。





にも関わらず、解剖学的名称を用いて構造的な説明を行わなければならないのが難しいところなのですが…。





それができたら、体感している関節のストレスや筋肉の緊張が、実際の動きでどのように変化していくのかを感じとります。


ここでは、運動学を頭に思い描いて動かしましょう。


急いで動かさず、太極拳をするように、ゆっくり動かしてじょじょにトーンが変化していく様子を味わうように感じとり、同時に頭の中で筋が収縮・弛緩し、関節の中で滑ったり転がったりして、関節包内運動が起こっている様子をイメージします。


(これについては「治療中の姿勢≪身体の使い方≫」もご参照ください)





こうして、知識と感覚がつながっていきます。


ここまでのプロセスを、多く方にモデルになっていただいて繰り返し、歩行サイクル中の膝の動きについて、知識と感覚のつながりを深めていきましょう。


(モデルになっていただいた方には、心の中でそっとお礼を言っておきましょう。





通常は知識を学ぶところから始まるものを、反対に感覚から入ってきましたが、結局はこうしてつながるし、またつながらなければいけないものです。


ちょうど砂場でトンネルを掘るようなものですね。





みなさんは小さい頃、砂場で山をつくってトンネルを掘った経験があると思います。


そのとき、片方だけから掘り進んでトンネルを開通させたでしょうか?


その方法で開通させるのは、なかなかたいへんなはずです。


一方的な掘り進み方ではトンネルの開通は難しいし、開通しなければトンネルとして役に立ちません。


同じように知識だけ、感覚だけという一方的な学習では、臨床で実力をすることが発揮できません。





トンネルを掘ったときは、ある程度掘り進んだら、反対側からも掘り進み、おおよそ真ん中あたりで開通するようにしたはずです。


お友達と一緒に掘ったなら、真ん中で握手したかもしれません。


知識と感覚もこのように両方から掘り進み、開通させるべきものだと私は思います。


開通させるとは、今回の例なら臨床で膝がきちんとみられるということです。





このトンネルの例えは他にもいろいろ教えてくれます。


まず、トンネルはとにかく開通させればよいのですから、知識6割、感覚4割で開通させるのか、知識3割、感覚7割で開通させるのか、セラピスト個人の特性によって決めてよいということです。


でも自分自身がどのような配分で進めばよいのか、わかっている人はほとんどいないと思います。


そんなときも、知識の吸収で行き詰まっているなら、反対側から掘り進んで感覚を鍛えるトレーニングを行い、感覚だけで行き詰っているなら、知識を吸収すれば開通に向けて進んでいけるということを、このトンネルの例えは教えてくれています。





トンネルがつながったら、その大きさを広げていく作業、つまり他の部位も同時にみていくという次にステップに移ることになります。