手技療法の寺子屋

手技療法の体系化を夢みる、くつぬぎ手技治療院院長のブログ

ストレッチポジションを楽しむ

2009-03-28 20:00:00 | ASTRについて
ASTRはプレポジション⇒フックポジション⇒ストレッチポジション、そして再びプレポジンションへという流れで行います。


セミナーなどで練習するときは、この3つのステップを一定のリズムで繰り返して行っています。


そこでときどき、こんな質問をいただくことがあります。


「ストレッチポジションの状態で、しばらく時間をおいてもいいのでしょうか?



もちろんOKです!!


大切なのは組織がリリースされることです。


そのための方法として、いろいろなアプローチがあって当然です。







私も実際に臨床で行っていますが、ストレッチポジションのまましばらく持続するのは、とても楽しいひと時です


楽しいひと時なんて変ないい方かもしれませんが、それは組織が徐々にリリースしていく様子を体感できるからです。


私の感じではバターが溶けていくような、パンがふくらんでいくような、そんな感覚です


筋筋膜リリースをかけている時も同じような感覚を覚えます。







組織がリリースしてくのを感じているとき、私はとても嬉しい気持ちになります。


大げさにいうと『生きていることを実感している』そんな感じでしょうか。


硬くこわばった組織が、軟らかくあたたかく、フワッと焼きたてのパンのような状態にもどったとき、「ああ、生きているんやなあ」としみじみと思うのです。


なんだか食べ物の例えばかりですね







考えてみると私たちは患者さんが生きていることを知ってはいますが、それを実感することは少ないのではないでしょうか。


そういう意味でも、この瞬間は貴重な体験だと思います。


まだやったことのない方は、ぜひ試してみてください

関節が先か?筋肉が先か?

2009-03-21 20:00:00 | 治療についてのひとりごと
手技療法にはいろいろなテクニックがあり、その背景には人間の身体をどのように捉えるのかという、これまたさまざまな考え方があります。


私が学んできた中でときどき耳にしたのが、治療するのは関節からなのか?それとも筋肉からなのか?という話題でした。






「関節の機能障害が先であって、筋肉はそれによって反射的に緊張しているだけだから、関節の問題さえ解決したら、筋肉のそれはほとんど良くなる」という意見。


これは、関節を操作することを中心にした治療、俗に言う矯正法を使っている人たちによくみられました。


反対に「筋肉が働くことで関節が動くのだから、筋肉の機能障害さえよくなったら関節の問題は解決する」という意見。


これは、筋肉をほぐすことを中心にした治療、指圧やマッサージ、またはストレッチやPNFを行う人たちにみられました。


いずれも正しいこともあるだろうし、正しくないこともあります。つまりケースバイケースですね。







関節包内の運動が正常になっても、周囲の筋肉が線維化して短縮しているようなら、そちらにもアプローチしないとなかなか良くなりません。


また、関節周囲の筋肉が正常な弾力性を持ったとしても、関節包や靭帯に拘縮がある、あるいは凹凸の法則など正常な関節の運動にそぐわない動きを学習してしまっている場合は、それらを解決しないと良くなりません。


慢性的なものであるほど、両者が混在していることが多いです。ですからよく診ることが大切。


臨床では、それぞれを比較してより制限の大きいほうからアプローチすればよいでしょう


良くないのは、はじめから決めつけてしまう態度です。






関節か筋肉かといってもよくよく考えると、それらはハッキリと線引きできるものではありません。そうなるとこの議論は、本当はあまり意味がないことかもしれません


私自身は、どの場所のどれくらいの深さで、どの方向に正常な運動を妨げている制限があるかを検出することを大切にしています。

その制限をみつけてから、それを解剖に照らし合わせると何なのかという順で考えています



あえて大まかにいうと、浅い深いにかかわらず体表に沿うような方向の制限が強いなら、筋や筋膜の問題ということになり、身体を切断する方向に制限が強いなら、関節の問題ということになるでしょうか。


みなさんはどのように考えていますか?

「枕」に想う その2

2009-03-14 20:00:00 | 治療についてのひとりごと
私達が歩くときや座るときは地面のかたちに適応できるよう、それに合わせて体を曲げたり傾かせたりして、楽な位置でバランスをとろうとします


寝るときもそうです


ところが、眠れないから枕がおかしいという方は、ふとんやベッドのかたち・弾力性に適応できないくらい、余裕のない身体になっていることが少なくありません。







たとえば、あお向けで寝たときには胸郭が伸展しないといけません。


しかし、いわゆる猫背では背中が丸まったまま伸びないことがあります。


すると、頚椎は過伸展して窮屈な状態になります。なかには関節面が接触してしまうほどの方もいます。


そうなると後頚部の筋は緊張してリラックスできず、寝つきが悪かったり、寝ても疲れが取れなかったり、場合によっては頭痛や頚の痛みを起こすこともあります






さらに、猫背の方は前頚部や胸部の筋が短縮しがちですが、仰向けに寝るとそれらがストレッチされて刺激されるため、腕にしびれが起こったり、なかには動悸のような症状を訴える方もいらっしゃいます。


先日相談にみえた方は、寝ると動悸が始まりビックリして起きると治まるという症状で、循環器科に相談しても心臓には異常がないということでした。


このようなことでは困りますから枕を高くすることで補おうとするのですが、頚椎がリラックスするくらい頭を上げると、今度は気管が窮屈になって寝苦しくなります


こうして、低くてもダメ高くてもダメという状態になり、神経質なくらい微妙な調整をしなければならなくなります。


つまり余裕のない、適応性の低い身体になってしまうというわけですね。






このような方々に必要なのは、前頚部から胸部の筋・筋膜の伸張性および胸椎の伸展性を回復させることによって、胸郭が楽に伸展できるようにすることです。

そのためのアプローチには、手技療法はとっても役に立ちます


方法は目的にかなうなら、マッサージだろうが、ストレッチだろうが、ASTRだろうが、関節モビライゼーションだろうが何でもかまいません。






実際、胸郭の伸展性が回復することですっかり安眠できるようになり、枕が変わっても全く大丈夫というくらい適応力がついている方もいらっしゃいます。


旅行好きの患者さんだったのですが、枕が変わると眠れないというのでは、旅行の楽しみも半減してしまいますよね。


寝ると動悸がするという患者さんも、大胸筋へのASTRを行い伸張性が回復してからは起こらなくなり、グッスリ眠れるようになりました。


大胸筋の制限に対する刺激症状として、動悸のような感覚がおこっていたのでしょう。


もちろん、不眠にはストレスによる一過性あるいは持続性の緊張や、抑うつなど他の理由によることもあるでしょうし、枕は道具なのでより快適なものに変えることが悪いわけではありません。


しかし、身体の適応性を高めることが本筋で、はじめに枕ありきというのはちょっとおかしいと思います


枕が合わないので眠れないというのは、いってみれば、ボールが打てないのをバットのせいにしているということに近いかもしれません。






このようにちょっと考えると???と思わせるようなことは、健康関連ではけっこう多いと思います。


メディアからさまざまな情報があるとついつい流され、思考も偏ってしまいやすいです。


でも、こういった問題こそ「ちょっと待てよ」と踏みとどまって考えたいですね。

『枕』に想う

2009-03-07 20:00:00 | 治療についてのひとりごと
「自分に合う枕って、どのくらいの高さなのでしょうか?


という相談を時々受けます。


話を聞くと、寝ても疲れが取れず頭痛や肩こりも治らないので、枕のせいではないかと考えられているようです。


メディアでもそのように取り上げられていますし、寝具メーカーもこぞって快適な睡眠を約束する枕を売り出しています。

あまりにも情報が氾濫しているので、迷ってしまうそうです







良い睡眠がとれないと、体力もなかなか回復しませんから切実な悩みです

ですから、自分に合った良い枕をという気持ちはとてもよくわかります。


なかには理想の枕に出会うために、いくつも買い替えて枕行脚をする方もいらっしゃいます。


でもここで、少し落ち着いて考えてみたいと思います







人類と枕との歴史はそうとう古いらしいのですが、やれ素材がどうだとか、頚椎のカーブだとか大騒ぎ出したのは、ここ数十年のしかも一部の先進国といわれる地域だけです。


昔は木を切って枕として使っていたそうです。


低反発全盛の今からみると考えられませんね


そのさらに大昔の祖先は野原を歩き回り、そこら辺でゴロゴロ寝ていたはずです。

江戸時代にはビックリするくらい高い枕がありましたが、それは当時の日本髪やらチョンマゲが崩れないよう首にあてていたそうです。


あのような高い枕は、快適な睡眠とは程遠いように見えるのですが、慣れということもあるのでしょうか。


実際に使われていたということは、きちんと眠れていたのでしょう。


そんな枕を使えたのは一部の人たちで、農村に行けば、ワラを束ねたようなもので寝ていたところもあるはずです。


昭和の初めころまでは、お母さんが一家の枕を作っていたそうです。


つまり、みんないろんな高さや硬さの枕を使いながらも、これまで元気に暮らしてきたということです







そうなると最近の頚椎のカーブを精密に測定して、その人に合ったものを作るというのは本当に必要なことなのでしょうか。


もちろん枕は道具ですからより進歩して当然ですし、身体の状態によって特定の枕が必要になることもあるでしょう。


でも近ごろの話はちょっと行きすぎではないかとも思いますし、その前にやらなきゃいけないことが置き去りにされているような気がするのです。


それは、いろいろな地形(枕)に適応できる身体をつくるということが先ではないかということです







(次回につづく)