対局日誌

ネット囲碁対局サイトでの、私の棋譜を記録していきます。
全くの初級者がどう成長していくか、見守ってください。

「次の一手」不要論

2005-01-22 01:20:22 | 雑談
part1にコメントして下さった、yyzzさんの

> 囲碁は善悪の価値判断があいまいで、
> 非学術的な要素がどうしても序盤になればなるほどあると思います。
> だから、序盤・中盤の感覚が題材なら問題集形式が適しているのでは。
> 一手ポンと盤上におくことで、
> がらっと局面の見え方が変わったりする体験の修得がメインですから.

という意見に同調した私ですが、
まえださんのブログを読んで気が変わりました。
そういえば、「上手な初心者」の作者、
小坂さんも「構想は自由に」と言っていましたし。
揺れる乙女心を察してください(意味不明)。

むしろ非学術的な要素が多い局面なら尚更、
問題形式にそぐわないのではないかと思います。

碁を打つことは良く絵を描くことに例えられますが、
絵を描くときに「次にどう筆をいれますか?」とは言われませんよね?
(いつものように不適切な例えかもしれませんが)
「これこれこう描くと、こう綺麗に見えるから、こう描いてみては」という形なら、
テキストとして成立するでしょうが、
絵を描くための問題集なんて聞いたことがありません。

碁に戻って、例えば、
多くの本では星目に白1とケイマにかかった場合、
右図のような進行を解説していることが多いかと思います。
しかし梶原先生の本(梶原流必勝置碁)や、白江先生の本(碁この法則を知っておけ)には、
黒a以外は全然緩いとありますし、
また大矢先生の本(なぜそう打つ なぜそうなる)には、
(白1に対し)黒4や黒bも立派な手としています。
趙先生曰く(とっておき上達法)、「身の丈に合った碁を打とう」に従うなら、
どれも正解でしょうし、盤面は広いのですから、他の奇想天外な手も考えられそう。

極端な例で、さすがにこういう局面が問題形式で出されることはないと思いますが、
他の次の一手にしても、よっぽどはっきりとした「決め手」になる局面でもない限り、
「絶対正解」というものはなかなか出てこないと思うのです。
第一、まえださんのブログにあるように、
現在の自分の好みで、「前に解けた問題が、次に解けなくなる」
ということが起きるって、変な感じがします。
それじゃあ、問題形式の意味がないのではないですか?
「問題を作った人ならこう打つ」ということなら問題形式も成立するでしょうが、
その場合にしても問題形式にする必然性はあまりなさそう。
少なくとも1ページまるまる問題を掲げるくらいなら、
その問題図にいたるまでの総譜でも載せてくれたほうが、私はありがたいですし、
(将棋と違って、「総譜」は載せやすいのは囲碁本の利点です)
正解の手が成立する条件、メリットデメリットを、一行でも多く解説する方が、
ずっとためになるのではないかと思うのです。
先に挙げた図でも黒cにまだ味が残っていることや、
その後の攻防をきちんと解説している本は少ないような。

もっとも問題形式にすることで、
一歩立ち止まって考える時間を持てるのは大変有意義だと思いますが、
その割には「相手が本の通り打ってくれない、と愚痴る」という話が絶えません。
しっかり手の成立条件を把握していれば、そういう愚痴は聞かれないと思うのですが。