打碁並べ、特に棋譜を覚えようと四苦八苦していると、何だかデ・ジャヴ(既視感)におそわれることがあった。
「何かなぁ」
と思っていたが、そういえばピアノの曲を発表会に向けて暗譜し、練習していたのとソックリ。
こうみえても(?)、私は幼少の頃にピアノのお稽古に通っていたのだ。
ハッキリって不良生徒だったし、発表会も散々!
あまり上手くもならず、稽古がどちらかというと苦痛だったので長続きはしなかった。
それに比べると囲碁の方は、先生に急かされるわけでもなし。
まず好きになって取り組んでいるので、苦痛と言うことはない。
大人になったせいか、基礎的で地味な練習の大切さ、スローながら確実に実力をつける楽しみも覚えたし。
同時に「音楽もこうして取り組んでいけば良かったのかな」という後悔も少し。
音楽と棋楽。
どちらも暗譜して譜読みを省略すれば、曲(局)の鑑賞に集中出来、昔の巨匠(モーツァルト=秀策?!)の曲(局)に込めた気持ち、曲(局)の流れのメカニズムなどを、より深く味わえる。
なるほど、高段の人たちはこういう「石の音」を聞いていたのだなと、今更ながら思い至った次第。
「何かなぁ」
と思っていたが、そういえばピアノの曲を発表会に向けて暗譜し、練習していたのとソックリ。
こうみえても(?)、私は幼少の頃にピアノのお稽古に通っていたのだ。
ハッキリって不良生徒だったし、発表会も散々!
あまり上手くもならず、稽古がどちらかというと苦痛だったので長続きはしなかった。
それに比べると囲碁の方は、先生に急かされるわけでもなし。
まず好きになって取り組んでいるので、苦痛と言うことはない。
大人になったせいか、基礎的で地味な練習の大切さ、スローながら確実に実力をつける楽しみも覚えたし。
同時に「音楽もこうして取り組んでいけば良かったのかな」という後悔も少し。
音楽と棋楽。
どちらも暗譜して譜読みを省略すれば、曲(局)の鑑賞に集中出来、昔の巨匠(モーツァルト=秀策?!)の曲(局)に込めた気持ち、曲(局)の流れのメカニズムなどを、より深く味わえる。
なるほど、高段の人たちはこういう「石の音」を聞いていたのだなと、今更ながら思い至った次第。