7月末から岐阜で開催されていた「薬師寺展」
こんなに長い会期なんだから、二度くらい行けるかなと思っていたら…。
一度もいけないままに、すでに終了前日。
あわてて行って参りました。
何故、岐阜で薬師寺展なのか?といえば。
薬師寺の安田暎胤長老、山田法胤管主、村上太胤執事長が岐阜県出身。
加えて、薬師寺を創建したのは天武天皇。
天武天皇といえば、壬申の乱。
その際に大海人皇子側について働き、勝利へと導いたのが
村国連男依(むらくにのむらじおより)。
この人は美濃国各務郡(かかみぐん)の豪族。
この人の活躍なくしては乱の勝利なしだったとのことで、
乱に勝たねば大海人皇子は天武天皇にはなれなかったし、
天武天皇がいなければ薬師寺は建立されなかったわけだから、
「岐阜と薬師寺は切っても切れない縁があるのだよ」なのだそうな。
そんなこんなで、薬師寺のお宝がごっそり岐阜へ。
中でも目玉は「吉祥天女像」と「聖観世音菩薩立像」のお出まし。
まー、困ったときの聖観世音菩薩さま頼み(笑)
そういえば、東京へもおでましいただきましたっけ。
あちこち巡業に出される出張好き(?)の仏さまです。
東博でもぐるりと一周回らせていただきましたが、
こんかいも360度あますところなくぐるっと拝ませていただきました。
で。
この聖観世音菩薩さま。
このお出ましの期間中、なんと、お身ぬぐいが体験できるという
新聞記事を読みまして「ぎゃー!!やるやるやる!」
とものすごい乗り気だったのですが。
私の勘違いで、体験期間は9月30日まで!
「今日のお身ぬぐい体験は…」
と聞いたら「あ、昨日までで終了しました」
ガーン!!
そうとわかっていたら、昨日無理しても来たのに…。
まあ、本日ダンナの祖母の二十三回忌法要を執り行ったので、
その準備に追われていたってのもあるんですが。
午前中で法要も終わったことだし、さて!行くか!と勇んできた割には、
このがっくり感、どうしてくれる…。
ま、人生なんてそんなもの。
(ダンナには、「そんなことだろうと思った」とかいわれる始末。
そんなことってどんなことだよ!←※ご覧のとおりです)
それはともかく。
久しぶりの聖観世音菩薩さまとの対面とか、
休ケ岡八幡宮の八幡三神坐像さまとの対面とか、
「よくぞ、ここまで!」のお姿に感動しましたよ。
(ここの狛犬さんはガニマタだ、とか変なチェックポイントも満載だった)
入館してすぐに講堂で僧侶による解説もあるというので、
入ってみたら村上太胤執事長のお話だった。
「何故薬師寺に入ったかというと、薬師寺にはまんじゅうがあるらしいという話を
聞いていったんですわ。岐阜におったらサツマイモばっかりだったから」
なんてジャブから。
「しかし食べるもんなくて、朝はかゆ、昼はそうめん。
このそうめんが古いもんで、虫が食うてる。それゆでて食べるもんですから、
ゆでると虫が出てくる。うぎゃーと思ってお師匠さんに
『これは殺生とちゃいますか?』と云ったら、
『たんぱく質が少ないからそれでも食うとけ』と云われたとか」
本当かネタかは疑問だが、こんな話もご愛嬌です。
ぐるっと巡って、見終わってから再度講堂でお話があるというのでいくと。
本日の説法の村上太胤執事長、生駒基達執事、松久保伽秀執事ではなく、
村上定運録事がお話されるとのこと。
「本日、たぶん、最終の回ということで、今回任されました。
わたくし東京別院というところにおりますので、
見てのとおりの”シティボーズ”でございます」
薬師寺の坊主の口のうまさはちゃんと継承されているようです。
でも「話のうまさ」もなかなかなもので。
インドに巡礼の旅で行かせてもらったときに「汚い、早く帰りたい」
ばかり思っていたが、その地でテロに遭遇して、命は助かった。
帰国して思ったことは「日本というのはなんと平和なところなのだ」ということ。
それまでは嫌々お経を読まされて、不平不満を云っていたが、
帰国後はうきうきしながらお経を唱えている自分がいる。
世の中が変わったのではなく、自分が変わったからこそ、
自分の感じ方が変わったのだ、と。
世の中に対して不平不満をいい、相手を変えようとするのではなく、
自分の見方が変われば、自分が見ている世界も変わる。
物事は良くも悪くも自分しだい。
それを修正して、行こうとするのが、
修正して行こう、修正して行こう…で”修行”なのです。
”修業”というものもありますが、あれはいずれ”卒業”があります。
”修行”には「卒」行はありません。
修行にはこれで終わりというものがありません。
生きている限り、修正して行こうは続きます。
はあ、なるほど。
本日は祖母の年忌だったけど、そんな日に坊主三名(うちのおっさま+薬師寺の坊様)の
話を聞けたのは、何かのご縁だったかと。
しかし、お身ぬぐいしたかったなあー。
長谷寺の大観音さまのお足も拭き拭きしたし、
壷阪寺の十一面観音さまも拭き拭きしたし。
鐘撞き女に続いて、お身ぬぐい女と化していたのに。
まさにこんなチャンスもう無いかと思うだけに残念無念。
うーん。自分のボケボケさがいかんのですが。
ダンナは「最後まで粘って、ちょっと撫で撫でさせてもらえ」とは云いましたが。
ははは、さすがにそれは無理。
しゃーないでの、うちの生き仏様の足を揉み揉みさせていただくことにしましょう。
合掌
こんなに長い会期なんだから、二度くらい行けるかなと思っていたら…。
一度もいけないままに、すでに終了前日。
あわてて行って参りました。
何故、岐阜で薬師寺展なのか?といえば。
薬師寺の安田暎胤長老、山田法胤管主、村上太胤執事長が岐阜県出身。
加えて、薬師寺を創建したのは天武天皇。
天武天皇といえば、壬申の乱。
その際に大海人皇子側について働き、勝利へと導いたのが
村国連男依(むらくにのむらじおより)。
この人は美濃国各務郡(かかみぐん)の豪族。
この人の活躍なくしては乱の勝利なしだったとのことで、
乱に勝たねば大海人皇子は天武天皇にはなれなかったし、
天武天皇がいなければ薬師寺は建立されなかったわけだから、
「岐阜と薬師寺は切っても切れない縁があるのだよ」なのだそうな。
そんなこんなで、薬師寺のお宝がごっそり岐阜へ。
中でも目玉は「吉祥天女像」と「聖観世音菩薩立像」のお出まし。
まー、困ったときの聖観世音菩薩さま頼み(笑)
そういえば、東京へもおでましいただきましたっけ。
あちこち巡業に出される出張好き(?)の仏さまです。
東博でもぐるりと一周回らせていただきましたが、
こんかいも360度あますところなくぐるっと拝ませていただきました。
で。
この聖観世音菩薩さま。
このお出ましの期間中、なんと、お身ぬぐいが体験できるという
新聞記事を読みまして「ぎゃー!!やるやるやる!」
とものすごい乗り気だったのですが。
私の勘違いで、体験期間は9月30日まで!
「今日のお身ぬぐい体験は…」
と聞いたら「あ、昨日までで終了しました」
ガーン!!
そうとわかっていたら、昨日無理しても来たのに…。
まあ、本日ダンナの祖母の二十三回忌法要を執り行ったので、
その準備に追われていたってのもあるんですが。
午前中で法要も終わったことだし、さて!行くか!と勇んできた割には、
このがっくり感、どうしてくれる…。
ま、人生なんてそんなもの。
(ダンナには、「そんなことだろうと思った」とかいわれる始末。
そんなことってどんなことだよ!←※ご覧のとおりです)
それはともかく。
久しぶりの聖観世音菩薩さまとの対面とか、
休ケ岡八幡宮の八幡三神坐像さまとの対面とか、
「よくぞ、ここまで!」のお姿に感動しましたよ。
(ここの狛犬さんはガニマタだ、とか変なチェックポイントも満載だった)
入館してすぐに講堂で僧侶による解説もあるというので、
入ってみたら村上太胤執事長のお話だった。
「何故薬師寺に入ったかというと、薬師寺にはまんじゅうがあるらしいという話を
聞いていったんですわ。岐阜におったらサツマイモばっかりだったから」
なんてジャブから。
「しかし食べるもんなくて、朝はかゆ、昼はそうめん。
このそうめんが古いもんで、虫が食うてる。それゆでて食べるもんですから、
ゆでると虫が出てくる。うぎゃーと思ってお師匠さんに
『これは殺生とちゃいますか?』と云ったら、
『たんぱく質が少ないからそれでも食うとけ』と云われたとか」
本当かネタかは疑問だが、こんな話もご愛嬌です。
ぐるっと巡って、見終わってから再度講堂でお話があるというのでいくと。
本日の説法の村上太胤執事長、生駒基達執事、松久保伽秀執事ではなく、
村上定運録事がお話されるとのこと。
「本日、たぶん、最終の回ということで、今回任されました。
わたくし東京別院というところにおりますので、
見てのとおりの”シティボーズ”でございます」
薬師寺の坊主の口のうまさはちゃんと継承されているようです。
でも「話のうまさ」もなかなかなもので。
インドに巡礼の旅で行かせてもらったときに「汚い、早く帰りたい」
ばかり思っていたが、その地でテロに遭遇して、命は助かった。
帰国して思ったことは「日本というのはなんと平和なところなのだ」ということ。
それまでは嫌々お経を読まされて、不平不満を云っていたが、
帰国後はうきうきしながらお経を唱えている自分がいる。
世の中が変わったのではなく、自分が変わったからこそ、
自分の感じ方が変わったのだ、と。
世の中に対して不平不満をいい、相手を変えようとするのではなく、
自分の見方が変われば、自分が見ている世界も変わる。
物事は良くも悪くも自分しだい。
それを修正して、行こうとするのが、
修正して行こう、修正して行こう…で”修行”なのです。
”修業”というものもありますが、あれはいずれ”卒業”があります。
”修行”には「卒」行はありません。
修行にはこれで終わりというものがありません。
生きている限り、修正して行こうは続きます。
はあ、なるほど。
本日は祖母の年忌だったけど、そんな日に坊主三名(うちのおっさま+薬師寺の坊様)の
話を聞けたのは、何かのご縁だったかと。
しかし、お身ぬぐいしたかったなあー。
長谷寺の大観音さまのお足も拭き拭きしたし、
壷阪寺の十一面観音さまも拭き拭きしたし。
鐘撞き女に続いて、お身ぬぐい女と化していたのに。
まさにこんなチャンスもう無いかと思うだけに残念無念。
うーん。自分のボケボケさがいかんのですが。
ダンナは「最後まで粘って、ちょっと撫で撫でさせてもらえ」とは云いましたが。
ははは、さすがにそれは無理。
しゃーないでの、うちの生き仏様の足を揉み揉みさせていただくことにしましょう。
合掌