Carpe diem

Chi vuol esser lieto, sia: Di doman non vè certezza.

大分アートプラザ

2011年02月13日 | その他
大分アートプラザ

大分での常宿の近くに大分アートプラザがあります。建物は磯崎新という建築家が設計したものだそうです。私は、この方存じ上げませんでした。無料で磯崎氏の作品展示を観ることが出来るので行ってみました。見学者は私一人で、見学したい旨を伝えると係員が各室の照明スイッチを入れてくれました。また、展示品は撮影禁止でした。

かなり大きいスペースを使って、木製の建物模型等が展示されていました。大きな建物を設計してきた国際的に有名な建築家であるようでした。ロサンゼルス現代美術館については、以下のコメントが展示されていました。

 ここでは幾何学的形態と歴史的な寓喩(アレゴリー)が同時に感知されるようなフォルムを捜すことになる。正四角錘がピラミッドと呼ばれ、半円筒がバレル・ヴォールトと呼ばれ、直方体がイタリアン・パラッツォを想起させるのは実は知覚作用と文化的文脈がいずれも両義的であることに基づいている。二つの概念間に理不尽に架橋するか、あるいは超越的な彼岸にむけてジャンプするときにはアイロニイが有効だが、ひとつの形態を同時に二つに読み分けるには言語的、文化的、歴史的な文脈が肌わかれしないままに共存し、いずれの側の読み方(感知)も可能な状態をつくることにある。作図としては幾何学に従うが、解釈は建築に固有な文脈に従うことを要請しているといってもいい。ここにはアイロニイのはいりこむ余地はない。
 両義的であるが故に、いっぽうでは私は基本的な幾何学形態を用いる建築家であり、同時に、歴史的な建築形態のイメージを喚起することにいまだ固執している、と評されることになる。やっぱりアイロニイとはかかわり合いがない。というよりも、アメリカにおいては、新聞紙上もしくはいわゆる建築ジャーナリズムを扱う雑誌上の批評においては、両義性でさえ、どちらかに片寄せて単純化されて伝達される有様で、アイロニイなどと称したら混乱する。この国においてもその間の事情は変わりはしない。伝達不能であるが故に、あるいはアイロニイが一向に作動しないが故に私はアイロニイを語るまいとしたのではなく、反語性や両義性によりかからずに、もっと直裁に表現意図を語るべきだ、と考えたにすぎない。


訳が分かりません。この建物です。上記の表現意図を理解できる人は多いのでしょうかね。

見学を終えて私の感じたことは以下の2点です。
1.訪れる人が殆どいない作品展示のために、係員を雇い巨大な建物を維持することは税金の無駄遣いだ。
2.磯崎氏に自宅の設計を依頼しなくて良かった。
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