Carpe diem

Chi vuol esser lieto, sia: Di doman non vè certezza.

アクロス

2013年06月08日 | 北新宿3丁目プロジェクト
アクロス

先週、関西方面に出張した際、新大阪駅前で懐かしい名前を見つけ、かつての熱い想いが蘇りました。このブログを始める切っ掛けを作ってくれた会社でもあります。
久々にHPを見ました。アクロス様はマンション賃貸は扱うことを止められたようです。フェイコム様は賃貸仲介をメインに手掛けられているようです。あの頃、関わった方々は元気でしょうかね。相手の名前を間違えないようになったでしょうか。もう、7年も経ちました。
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北新宿3丁目プロジェクトリターンズ

2010年07月01日 | 北新宿3丁目プロジェクト
北新宿3丁目プロジェクトリターンズ

「北新宿3丁目プロジェクト」が再来しました。もともとは、このブログのタイトルは「北新宿3丁目プロジェクトを考える会」でマンション建設に反対する目的で始めました。今度は我が家の東側にマンションが建つようです。日照の影響もさることながら、風害が心配です。工事中の騒音、振動、塵埃、悪臭などを考えると気が重くなります。

現在のタイトルの「柏木生活」は北新宿の旧地名から取ったものです。先日、義母から「源氏物語がお好きなの」と言われて意味が分かりませんでした。源氏物語の登場人物で、第36帖の巻名が柏木のようです。ウーム知性派です。丁度今私の年齢は柏木の光源氏と同じです。古典を読まねばと思いました。

また、本日7月1日は実母の命日です。月日が過ぎるのは早いです。息子が言うのも変ですが、ベラボウに明るい性格で一緒にいると元気が出ました。思い出すと寂しいです。
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入居者募集開始

2010年01月30日 | 北新宿3丁目プロジェクト
入居者募集開始

長らく休眠状態であった我が家の前のサービスアパートメントが再始動しました。


競売で購入したらしい不動産会社が賃貸マンションとして運用するようです。
初めて中にも入ってみましたが、2年間殆ど使用されていなかったせいかキレイでした。このマンションでは、食器や鍋などがサービスで無料提供されるようです。また、テレビ、冷蔵庫、洗濯機、ベッド、テーブルなど生活に必要な機器や家具がレンタル出来るのも珍しいと思います。家電一式レンタルで月額1000円は安いと思います。全て、サービスアパートメントの備品を転用したことによるものでしょう。部屋の鍵はカードキーでした。建物、備品一式で幾らで落札されたのか興味あります。


気になるのは入居者の質です。場所柄や生活設備が揃っていることなどから水商売関係や定職を持たない方にうってつけの物件と思われます。24階のタワー型マンションというのも、生活を真面目に考えない人に受けそうです。

もともとの運用会社のアクロスは、キャバ嬢やホストが集まると入居者のトラブルが多発しスラム化を招くので入居審査は厳重に行うと言っていました。今回の不動産会社は水商売可、風俗可、ペット可とのことです。新たな火種となる予感がします。日本の九龍城砦となるかもしれません。心配である反面、楽しみでもあります。
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ブログ3周年

2009年02月28日 | 北新宿3丁目プロジェクト
ブログ3周年

気付きませんでしたが、ブログを始めて満3年を経過していました。何だかんだ言っても書くのが好きなのかもしれません。3年前にマンション建設反対とのお題を頂いたことがトリガーになりました。

久々に北新宿3丁目プロジェクトを振り返ってみたいと思います。元々は、建築物の高さ制限条例が施行される直前に駆け込みで着工し、25Fの賃貸マンションを建設してしまおうという計画でした。この進め方が納得出来ずに近隣住民が反対しました。

それが、着工から1年半程経過したところで、別の会社(リプラス)に建物ごと売られて、賃貸マンションではなくサービスアパートメントというかホテルとして営業するということになりました。そのリプラスは昨年9月に倒産しましたが、何故かホテルは営業しているのが現状です。ホテルの経営母体はフレイザーグループかもしれませんが、詳しいことは私は知りません。

住民の中には初めからホテルを建てることが決まっていて、その目クラマシで賃貸マンションとして建設を始めたのではないかとの意見もあります。私は、そうとは思っていません。というのは、ベランダが広めにとってあり、外観はマンションに近いと感じるからです。はっきり言ってダサイ。


肝心のホテルの営業状況ですが、どう見ても悪そうです。客が殆ど入ってなさそうです。ホテルのレビューサイトでも、家具は無印良品やIKEAだとか、欧米系スタッフの体臭がきついとか、中国系スタッフが無愛想とか書き込まれていて、評価は最低です。

また、建物の持ち主が替わっても、アクロス殿と約束したことは継続されるとのことでしたのでチェックしてみます。

1.管理人を24時間常駐させる。
これは、約束が守られていると思います。ホテルなので当たり前か。でも、夜中にはフロントに人はいません。

2.町会費用を支払う。
町会に確認していませんでした。支払っていなかったら違約です。

3.町内の行事に参加する。
参加していないように思います。せめて鎧神社の祭礼への寄付程度は出来そうです。

あと、ビル風は予想を上回る強さでした。洗濯物が飛ぶのは当たり前で、風圧で木戸の金属製のカギがヒン曲がったのには驚きました。日照の影響はなく、慣れれば圧迫感もあまり感じません。建物周囲に外国人がタムロしていることがたまにあります。

フェイコムでググると2位に、このブログがヒットするせいでしょう。何度か建築紛争で相談を受けたりしました。ネット社会ですな。
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新大久保 中の濱 3月30日

2007年04月08日 | 北新宿3丁目プロジェクト
新大久保 中の濱 3月30日

「北新宿三丁目プロジェクトを考える会」の世話人と協力いただいた区議会議員とで打上げを行いました。45分程遅れました。でも18:30スタートはキツイです。

11月に陳情を取下げましたので約10ヶ月間の活動でした。2月~6月までの5ヶ月間が説明会,住民集会,世話人会,斡旋といった実働期間でした。大きな実成果を上げることは出来ませんでしたが、いい経験になりました。住民運動は難しいものでしたね。

そもそも私は、リーダシップを発揮しメンバーを引っ張っていくタイプではありません。面白そうなことにしか興味を持てませんので、斜に構えて冷めたことを言ったり、熱い人をチャカすタイプです。もともと住民運動の世話人のキャラではないのです。今回の件も「今までマンション建設に反対したことないから反対してみたい」というのが一番の理由だったかもしれません。

世話人の一人は都庁の斡旋の席上にて「ヤ××以下だ。」と言われたことに対して名誉毀損の訴えを起こしているとのことでした。私は裁判に行ったことないので証人として参加してみたいと思いました。

区議会議員は私の卒業した都立高校の後輩です。あの高校出身とは思えない真面目で誠実な方です。私よりも10歳程若いですが議員姿も板に付いてます。

その高校は自由な校風というか生徒は放し飼いで、なおかつ渋谷の近くなので皆好きなことをしてました。近くに私立大学があるのですが、学生食堂で高校生がのさばって困ると学校にフォーマルなクレームが入ってきました。教師もいい加減で、その件で生徒を強く指導することはありませんでした。「大学生のくせに情けない奴らだ。」程度に捉えていたのかもしれません。

当時は、その高校の文化祭や体育祭の日の夜には渋谷警察署は繁華街の巡回を強化していると聞いてました。私は、大人しかったので補導されたことはありません。
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アバンシー四谷

2007年01月21日 | 北新宿3丁目プロジェクト
アバンシー四谷

昨年になりますがネットで知り合った方々と四谷三丁目にあるトラットリアでワイン会を行いました。
私も相当嵌まっているほうですが、他のメンツの知識、経験、情熱には脱帽しました。ワインを飲み慣れた人でよく「薀蓄なんて不要で自分で美味しいと思えばいい。」と言う方がいますが、「知らないより知っている方がワインを楽しむことができるし、好みのワインに巡り合う確率が高まる。」というのが私の意見です。同じような年代ですし長い付き合いになればいいなと思いました。

さて、トラットリアに行く前に少し時間があったのでアクロス物件のアバンシー四谷に寄ってみました。HP上では空室0になっていたので興味を持ったからです。しかし空室ありますの看板が出ています。管理人はすでに不在でした。郵便ポストが投げ込みチラシで一杯になっている部屋もありました。本当に全室が埋まっているのでしょうか。投資者に賃貸率が高いように思わせるために空室数サバ読んでいることはないですよね。
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誕生日

2007年01月17日 | 北新宿3丁目プロジェクト
誕生日

「貫一さん忘れないわよ下駄の跡」
意味の分かる人も少ないと思いますが、1月17日は金色夜叉で貫一がお宮を熱海の海岸で足蹴にした日です。
ただ、下駄履きは大衆演劇として流行ってからのようで原作の挿絵は革靴のようです。

また、
1991年には米英によるイラク空爆開始
1994年には米国ノースリッジ地震
1995年には阪神大地震
と危険な日が私の誕生日です。

残りの人生も減ってきて、北新宿3丁目プロジェクトを相手にしてる暇はないと考えました。奇しくも第1回住民説明会からほぼ1年間が過ぎました。昨年は期日を急がれる仕事が少なかった年でした。軽い気持ちで考える会の世話人の一人に加えていただきましたが、それゆえ住民説明会/住民集会/斡旋の打合せ/世話人会などへの参加が可能でした。

今回の件では、近隣の方と知り合いになったり地域社会について考えることが出来たことが私にとって一番の収穫だと思っています。そのような機会を与えていただいたアクロス殿はじめフェイコム殿、佐藤工業殿、協立設計殿には感謝すべきかもしれませんね。

「考える会」はお開きにしたいと思います。今後はタイトルも内容もテキトーにしてダラダラいきます。週2回ペースは続けるつもりです。ワインメインになるかな~。本日も知り合いと素晴らしいワインを堪能しました。ジダンさんもよろしくね。
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ゴミ投棄status update

2007年01月13日 | 北新宿3丁目プロジェクト
ゴミ投棄status update

写真は1/4朝の状況です。相変らず椅子や布団が投棄されています。住民レベルの低下は如何ともしがたいです。

しかーし、1/4帰宅時にはキレイサッパリ片付いていました。事業主は投棄されたゴミを迅速に処理してくれます。様子を見るために私は清掃を行っていませんでしたが今後は協力したいと思います。ゴミがゴミを呼ぶのでこまめに清掃しないと増殖するので仕方ありません。

また、ゴミを投棄しやすい雰囲気の一因だった放置自転車も片付けていただいたので今後の効果が多少は期待できるかもしれません。自転車を片付けるにしても所有者確認から始まり一仕事のようでした。

ただ、根本的な対策を施さずに長続きするのでしょうか?モニターカメラの設置等の防止策を検討されたほうが楽ではないでしょうか?

あと、先日深夜(1:30頃)ミネラルウォータが切れたのでコンビニに買いに行こうと家を出たところで、野良猫にエサを与えている女性に遭遇しました。自転車で来ていました。マスクをしてコートを着ていたので「口裂け女」のようでした。怖いので目を合わせないようにしました。私に気付くとそそくさと立ち去りました。都会の孤独って感じの風景でした。
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ちいさいおうち

2007年01月10日 | 北新宿3丁目プロジェクト
ちいさいおうち

家内の両親、妹との、食事の時に子供の頃の話になりました。
二人とも「ちいさいおうち」という絵本をとても気に入っていたそうです。
絵本のスタンダードとなっているようで新宿区の図書館には何冊も置かれていました。
作者は、バージニア・リー・バートンで出版は岩波書店です。

その内容は以下のとおりです。
小さな家が野原で花に囲まれて楽しく過ごしていました。
ところが、時代の流れとともに大きな建物に挟まれ、高架駅や地下鉄が周囲に出来て環境が大きく変わってしまいました。その家は住む人もいなくなり荒れてしまいました。屋根や壁はしっかりしているのにと、その家は昔を懐かしく思い、悲しんでいました。ある日、その家に住んでいた人の孫の孫のまた孫が偶然にその家に気が付き、その家を田舎に移しました。そこで手直しされて人が住み再び穏やかな生活に戻ります。

話が向かいのマンションに移り、まさに我が家は「ちいさいおうち」になってるねと呆れて笑ってしまいました。本屋や図書館で立ち読みしても数分でしょう。絵も内容も40年以上昔の本とは思えないくらいに新鮮でした。
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2006年総括

2006年12月30日 | 北新宿3丁目プロジェクト
12/30

2006年総括
思い出すままに書き出してみました。
世話人会はもっとやったと思いますが、憶えていません。
他にも工事協定書作成/査読/メール遣り取りやブログ書込みなど
で延べ時間どれ位になるのでしょうか?

1月20日 第1回住民説明会
1月30日 第1回住民集会
2月1日 第2回住民説明会
2月5日 第2回住民集会,地域センター住民説明会
2月11日 第3回住民説明会
2月17日 町会役員会
2月18日 ノボリ設置
2月25日 第4回住民説明会,第3回住民集会
2月27日 朝日新聞取材
3月8日 第1回斡旋
3月12日 看板設置
3月16日 新宿区視察,重機搬入
3月18日 世話人会
3月23日 第2回斡旋
3月25日 第4回住民集会
3月25日26日 佐藤工業事務所打合せ
3月30日 世話人会
4月7日 世話人会
4月11日 第3回斡旋
4月13日 代表入院/お見舞い
4月20日 第5回住民集会
4月22日 家屋調査
4月27日 第4回斡旋
4月29日 家屋写真再撮影
5月11日 第6回住民集会
5月18日 第5回斡旋
5月28日 代表への斡旋報告
5月30日 第7回住民集会
6月4日 代表とフェイコム打合せ
6月17日 世話人会
7月15日 フェイコム工事協定書打合せ
7月22日 工事現場見学
8月6日 フェイコム工事協定書打合せ
10月21日 アクロス・フェイコム工事協定書打合せ
10月28日 アクロス・フェイコム工事協定書打合せ
11月2日 工事協定書締結
11月5日 ノボリ撤去
12月9日 アクロス・フェイコムごみ投棄打合せ

先日、旅行先で何気なく見上げたら、暮れゆく空に飛行機雲だけ夕日に輝いてました。一年間の出来事なんてアッという間に人の記憶から消えてしまうでしょう。飛行機雲みたいにね。でも私に限っていえば、本件で経験した数々のことは簡単に頭から消し去ることが出来ません。
では、皆さん良いお年を・・。
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気になるクレーン

2006年12月27日 | 北新宿3丁目プロジェクト
気になるクレーン

♪窓を開ければ~クレーンが見える~♪
ということになりました。
ガラス張りのクレーンの運転席からの我が家への視線が気になります。
家内も庭で洗濯物や布団を干す時に見られている感じがすると言います。
マンションが出来たら、窓から見下ろされる視線の数が増えて、さらに落着かないことになりそうです。
私は今までパンツ一丁で庭に出ていましたがジャージくらいは着ることになりそうです。

かつて旧日本システムハウス横駐車場の場所にクリーニング店がありました。
私の父親は、そこでスーツとワイシャツを脱いで洗濯に出して家までシャツとステテコで帰って来てました。
当時でも、そんな人はあまり居ませんでした。
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「想一様」ってオイオイ

2006年12月20日 | 北新宿3丁目プロジェクト
「想一様」ってオイオイ

事前に資料をもらって12/9にゴミ投棄についてアクロス殿含め打合せを持ちました。
提案内容を大筋で了解し、しばらく様子を見ることにしました。
今日(12/20)現在で投棄されたストーブ,座椅子,テーブル及び放置自転車は手付かずです。
これは提案いただいた内容に合致していません。

タイトルと写真はフェイコム殿が事前に資料を送付いただいた際の宛先です。
誰だ「想一様」って、基本的にフェイコム殿は仕事なめてます。
アッ仕事ではなく私がなめられているのですね。アホらしくなってきました。
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斡旋レヴューその5 調停

2006年12月16日 | 北新宿3丁目プロジェクト
斡旋レヴューその5 調停

住民からの要望がことごとく拒否されまくって斡旋が行き詰ってしまいました。
そこで、調停により打開案を検討したらどうかとの提案が都庁か事業主(記憶が定かでありません)からありました。調停とは専門家より編成される委員が双方の意見を聞き調停案を作成するというものです。ただし、その調停案に拘束力はありません。すなはち事業主にとってどんなに不利な調停案が出ても従う必要はないということです。結局は事業主の良心によるので、新宿区指導、区議会決議を無視している事業主が受け入れる訳がありません。住民側は席上では斡旋参加者だけでは判断できないので、住民集会を行い調停への移行を審議したい旨を伝えました。

数日後に行なった住民集会では拘束力の無い調停案は意味を持たないという意見が大半でした。むしろ、調停案が住民側に不利なものとなった場合に、個別交渉がやりにくくなるかもしれないとの意見もありました。結論として、調停への移行を希望しないこととしました。

これについては、住民は選択を誤ったかもしれません。丁度この頃、住民代表が体調を崩して斡旋に参加していませんでした。代表が参加していたら違った流れになっていたかもしれません。
なぜなら
「住民からの要望が全て拒絶されている状況では、それより悪い調停案になるわけがない。」
からです。
大局的に状況を判断できなかった自分の未熟さを痛感しました。
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斡旋レヴューその4 録音公開

2006年12月13日 | 北新宿3丁目プロジェクト
斡旋レヴューその4 録音公開

先日の「検討します。」でも投稿しましたが住民説明会での発言を正確に文書に残さないので言った言わないの水掛論で時間が取られてしまうことが何度かありました。

これも度々投稿してきましたが、「建物は移動していない。」と言ったことはないというのが事業主側の主張でした。仕方がないので斡旋の場には相応しくないのですが、説明会を録音した音声を流しました。明らかに協立設計殿とフェイコム殿は口を揃えて「移動していない。」と宣言しています。その後、この件についての言った言わないの話しは無くなりましたが、「計画変更は不可能」の一点張りでした。

他にも味わい深いアイテムが録音されています。「少しでも皆さんのためになればと・・」などは頻繁に出てきます。マニュアルでも作成しているのでしょうか。勉強になります。

*注記* 都庁で使ったPCとスピーカです。スピーカはこのために購入しました。
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斡旋レヴューその3 「ヤ××以下だと言ったのです。」

2006年12月09日 | 北新宿3丁目プロジェクト
斡旋レヴューその3 「ヤ××以下だと言ったのです。」

かなり以前に個別交渉にて補償について話しが及び「あんたは山○組か?」
と言われた住民について投稿しました。
その話しが斡旋の席上でも出たことがあります。

その席でフェイコム殿の担当者は
「私はそんなことは言っていません。ヤ××以下だと言ったのです。」
とその住民に言いました。これには、その方も憤慨されていました。
都庁が主催している正式な打合せでそれは無いよなと思いました。

今になって振り返ると、着工が確定したのでフェイコム殿の対住民方針を強硬路線から懐柔路線に変更するタイミングだったのかもしれません。そのキッカケを作るための意識的な発言だったのでしょうか。
詳細な背景は知りませんが、そのタイミングで担当者が交代しキャラがガラッと変わりました。
結果的には老獪な手口に住民がまんまと乗せられた格好だと思います。

*注記* 写真はイタチの最後っ屁をくらってフレーメン反応を起こしている猫です。
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