父 綴ります。
新年が明けて2日目の夜11時過ぎ娘が、すでに寝てた私たちの部屋に来て『叔父さんが亡くなったって』。
1年半の病院生活で大分弱ってたけど、「お顔を見に来て下さい」という病院からの連絡で、大晦日に見舞い。
大慌てで駆けつけるも、既に、、、。
病院の処置・死亡診断書が整うのを待って、日が変わった午前1時半過ぎに。
嫁さんが運転する車で、私と分家の婿さんが抱いて連れて帰ってやりました。
深夜だったけど、お世話になろうとする”JAさん”に電話。(50分後にはドライアイスを持参して、、)
1月3日は9時前に、濃いい親戚が集まって、”お寺”・”葬儀場”・”火葬場”などの都合を調整作業を。
(年末年始に亡くなられた方が多いらしくて、さらに年明け3が日は葬儀をしない風習のため順番待ち状態。
早くても9日(木)って。)
皆の都合も考えたりする中で、午後5時からの予定案を出して、”葬儀場”・”お寺”・”火葬場”を抑えることが。
その後も、隣近所の講中さんや、親戚に連絡。(何せ正月3が日中なので、言葉選びを慎重にして。)
4日には新聞に掲載してたので、近所の”亡くなった叔父の同級生さん2人”が香典を託づけに来宅されて応対。
昼前には、我が家の家族5人(孫娘達も)で庭の草取り作業を2時間。(きれいになりました)
夕方6時には、隣近所の講中さん方に役割分担などを相談いただきました。
5日は、ちょっと我が家で”年賀状書き”。
(眼が醒めて寝付かれない午前3時から5時までは、「叔父の思い出綴り文」をしたためました。)
6日は、”亡くなった叔父のアルバムから抜粋した写真”で、「メモリーボード」を作り上げました。
午後5時に、濃いい親族で「入棺」。
午後6時から、濃いい親族で「通夜」。
曹洞宗なので、”修証義”・”観音経”を集まった皆でお唱えして供養。
終わってから、菩提寺の「宝林寺の和尚さん」からの”法話”がありました。
『明日は火葬してお骨になられます。
通夜の今夜は既に遺体となってても、心臓の鼓動は止まってても、耳は聞こえていると思います。
今夜は皆さんで故人の生前の良かった思い出、あるいは文句でもいいです。
食事をしながら、沢山話をしてあげてください。
それが故人への供養になります。』
20代頃、葬儀に行った場面で、大きな声や笑い声で話してる大人に違和感をおぼえてました。
ちゃんと、しんみりしながら、送りの儀式一切を行なわなければいけないのに!。
”通夜”や”出棺”、”葬儀”の場面・場面でのみに出かけていたからか?。
でも亡くなった故人は、皆んな皆んなが、あれこれ言って偲んでくれることが、嬉しい!って感じてるのかな?
この歳になって、今更考えることではないかもしれませんが、、。
”とっても良い法話”でした。
『 我が家"錦峰園”のホームページです♪』 ← お茶とお米を販売中!
↓ 島根県ブログランキングに参加しています。お帰りの際はポチッとお願いします。応援、ありがとうございます。