「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

常田監督がご逝去。指圧のよき理解者、DVD作成にも尽力

2024年09月21日 | 指圧の活動

  【ご挨拶】
 今年、正月にご挨拶をして以来、まったく投稿せずに9月も過ぎようとしています。長らく本当に申し訳ありません。しかしせめて一言いわせていただくなら、昨年半ばから今年の前半を過ぎるまで、日常生活が息もつかせぬ激務でした。
 倅の結婚に関連して、両家顔合わせ、京都での顔合わせ披露、東京(会場は埼玉)での披露。
  昔たいへん世話になった叔母が老齢で危ういと聞き富山へ。そのあと8か月後に訃報を聞き、通夜と葬儀・告別式に参列して富山で2泊。
 12月に夫の60年来の親友の急逝。私も懇意にしていた方ですので、夫婦で葬儀に参列。東京・府中駅近くで宿泊。5月には夫が友人の偲ぶ会を開催。私も参加。
 そのほか正月は夫の姪に会うため姫路へ。
 予定できない出来事の場合は、私の仕事を全部組みなおさなければなりません。実に大変でした。

 弁解じみた「ご挨拶」になって恐縮ですが、ぼつぼつですがまた投稿いたします。どうか意のある所をお汲み取りください。

 【さて今回の投稿です】
 実は、2024年7月3日、常田高志さん(ドキュメンタリー映画監督)が亡くなりました。常田監督は5年前、私がDVD「指圧の教科書-基本指圧-」を発刊するにあたって、映像化で全面的に協力をお願いした方です。
 監督自身、再々指圧を受けられ、指圧に対する理解を深めながらの撮影でした。でき上がったDVDは、私の指圧に対する姿勢を巧みに取り入れてくださり、いうならば指圧の奥深さをできる限りわかりやすく解説した「自信作」になりました。
 監督とのご縁で、このDVDができたと思うと感無量です。ありがとうございました。
 次に常田監督の略歴をご紹介します。(監督を偲ぶ会で頂いた略歴から)

 1979年 東映株式会社教育画撮影部に所属。

 1992年 フリーランスとなる。

 1998年 NGO「国境なき医師団日本」広報部映像プロジェクト主任。世界各国の活動を記録する。

 2003年 映像開発フォーラム設立NOP「国境なき子供たち」の映像制作。

 2006年 映像グループ「ローポジション」結成。

 2011年 監督作品「タケオーダウン症ドラマーの物語」を劇場公開。

 2024年7月3日永眠 享年71歳。

 常田監督と初めてお会いしたのは、2017年2月18日、第4回山梨ダウン症フォーラムで山梨大学医学部大講堂での講演を依頼された時です。声をかけてくださったのは日本における「ダウン症」の権威、長谷川知子先生。この時、子供のお腹の圧(お)し方を映像に残すために監督が呼ばれ、私に紹介してくださいました。  
 監督というと怖いイメージがありましたが、真反対でした。柔和で優しく、でも決して安易に妥協をしない方でした。指圧の教科書の制作でも、私だけでなくスタッフにも溶け込んでくださり、撮影はとてもスムーズでした。
 おかげさまで、指圧の奥義に迫る素晴らしいDVDができたと確信しています。監督と知り合えたことで、このDVDができたと思うと感無量です。ありがとうございました。

 今はただ監督のご冥福をお祈りいたします。 合掌

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 新年おめでとうございます | トップ |   
最新の画像もっと見る

指圧の活動」カテゴリの最新記事