「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

空幕長論文を検証。正論が罰せられる国ではいけない(中)

2008年11月06日 | 分類なし

 (前回のつづき)
■論文
②「我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者なのである。(中略)もし日本が侵略国家であったと言うのならば、当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい」

◆私の考え
  「蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた」という表現は、どの時を指しているのでしょう。ある程度の長い期間を見たらそのとおりです。しかし直接の「引き金」になったという意味なら、「蒋介石」ではなく、「毛沢東」と言うべきでしょう。  

  昭和12年7月7日、盧溝橋の近くにいた日本軍が、夜間演習をしていたところ、突然、国民政府軍(支那軍)の方角から数発の実弾が飛んできました。日本軍はすぐに臨戦態勢に入ったのですが、日支両国の不拡大方針でいったんは停戦が成立。しかしその後8年にわたる戦争(太平洋戦争=大東亜戦争)に発展したのです。 
  この発砲は、いまでは中国共産党軍(現在の中国。当時、毛沢東が率いていた)が日本軍と国民政府軍(蒋介石)を戦わすために発砲したことが、ほぼ定説になっています。  

  東京裁判でも、連合国は支那事変に関連して日本を裁こうとしましたが、日本は仕掛けられたほうだと分かって、途中から追求をやめたという経緯があります。 
  ついでに言いますと、支那事変を日中戦争という学者等も多いのですが(この論文もそうです)、宣戦布告がなかったことと、紛争地域の呼称を取って支那事変あるいは支那動乱というのが正しいでしょう。(当初、北支事変と呼ばれていました)  

  大航海時代と呼ばれる15世紀中ごろから17世紀前半にかけて、ヨーロッパ列強によるアフリカ、インド、アジア、アメリカなどへの侵略、植民地化が爆発的に進みました。例えばアジアで侵略されなかった国家は、日本とタイだけという状況だったのです。 
  15世紀、北アメリカ地域には2000万人のインディアンが平穏に暮らしていたというのですが、白人に撲滅され、現在生き残っているのはせいぜい50万人だといいます。 
  イギリスの苛酷なインド統治、アフリカやアジアにおけるヨーロッパ諸国の植民地化と搾取、虐殺。多くの黒人が奴隷として新大陸に連れてこられました。この事実を見ると、台湾・朝鮮に対する日本の統治は極めて紳士的であったと思います。韓国の金完燮(キム・ワンソプ)氏(作家)も、韓国での弾圧覚悟で著書(親日派のための弁明 草思社)に、日本の正しさを認(したため)めているほどです。  

  ことにイギリスなどは「7つの海を支配する国」「日の没することのない国」と言われたほど、全世界に植民地を持っていました。また、イギリス王室の先祖は海賊だと言われていますが、それを恥ずかしげもなく宣伝しているのです。 
  略奪がいちばん簡単でいちばん豊かな生活を約束する、と世界中を荒らしまわった国です。大英博物館には世界中から奪った多くの宝物が展示されており、何カ国かが返却を迫っていますが、まったく返す意思を示さないそうです。 
  田母神氏の「当時の列強といわれる国で侵略国家でなかった国はどこかと問いたい」との表現には誰も反論できないでしょう。まして帝国主義はなやかなりし頃は、植民地を持つことに誰も批判はしなかったのです。

■論文
③「さて日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し(中略)日本は取り返しの付かない過ちを犯したという人がいる。しかしこれも今では、日本を戦争に引きずり込むために、アメリカによって慎重に仕掛けられた罠(わな)であったことが判明している。実はアメリカもコミンテルンに動かされていた」

◆私の考え 
  日本が中国大陸や朝鮮半島を侵略したために、遂に日米戦争に突入し取り返しの付かない過ちを犯した、という考えは大変な間違いです。 
  日本が真珠湾を攻撃する直接の引き金になった、ABCD(プラス2カ国)包囲陣とハル・ノートの最後通牒を知らない人はいないでしょう。しかしそのはるか以前、明治時代からアメリカは「オレンジ計画」と名づけて、日本殲滅を目論んでいたことをご存知でしょうか? その最終仕上げがABCD包囲陣であり、ハル・ノートだったのです。
  ですから、もし真珠湾攻撃を行わなかったとしても、アメリカは必ず日本を攻撃してきたのです。しかし、できることなら日本から攻撃を仕掛けた形にしたかった。そのほうがアメリカ議会、国民の同意を取り付けやすかったからです。そこで日本に無理難題を迫ってきた。  

  上智大学名誉教授の渡部昇一氏の言葉が、端的に語っています。
  「私が、アメリカの大学で教えていた時、クラスで真珠湾攻撃の話をしたことがあった。石油問題に触れて、『首を絞められて(チョーキングで)気絶しそうになったとき、その寸前に一撃(パンチング)を与えたのが真珠湾攻撃であった。チョーキングとパンチングは、どちらが悪いかと言ってもはじまらない』という趣旨のことを言った(後略)」  

  真珠湾攻撃も長い間、日本の奇襲攻撃が成功したように言われていましたが、最近明らかになった事実は、日本の攻撃を察知したアメリカは新鋭艦を湾外に出し、沈められてもいい何隻かの旧型艦船を残して日本の攻撃を待った、というのです。
  まさにルーズベルトが日本に対する巧妙な罠を仕掛け、それにまんまと引きずり込まれた、というわけなのです。  

  戦前のアメリカは支那(蒋介石軍その他)を善玉、日本を悪玉として日本潰しを図ったが、さて日本軍がいなくなってしまうと支那全土はソ連と手を組んだ中国共産党の手に落ちてしまった。 
  トルーマン大統領と意見が合わずに解任されて帰国したマッカーサーは、上院で「太平洋戦争は日本の自衛戦争だった。東京裁判はやるべきではなかった」と述べている。 
  東京裁判においてパール判事が、連合国の日本に対するやり口を挙げて、
 「こんなことをされては、(弱小国である)モナコ公国でもルクセンブルク王国でも矛を取って立ち上がるだろう」
  と述べたのは有名な話ですが、この正論も東京裁判では封殺されてしまったのでした。

■論文
④「(中略)もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人権平等の世界が来るのがあと100年、200年遅れていたかもしれない」

◆私の考え 
  太平洋戦争(大東亜戦争)は決して日本が望んで戦ったものではなく、「引きずり込まれた」のが事実です。しかし突入した以上、自分たちが正義であることを全国民に理解させなければ、総力戦は展開できません。そこで明らかにされたのが、「大東亜共栄圏」建設構想です。 
  先ほども述べましたが、アジアでは日本とタイ以外はすべて白人の植民地でした。このアジアを白人の手から開放する、すなわち「人種差別の撤廃」が大事な理念になっていたのです。  

  当時は、ホモサピエンスに至る進化論的人種差別が浸透していました。わかりやすく言えば、進化が最も進んだ人類が白人で、その下に黄色人、褐色人、黒人と続き、さらにその下にオランウータン、チンパンジーなどの類人猿が続くという。類人猿からまだ十分発達していないのが黒人であり、その上が褐色人……という理屈です。学者も真剣にそう考え、研究していたというのです。 
  白人社会では有色人種と結婚するということは、猿と結婚するのと同じで、社会から締め出されるということでした。渡部昇一・上智大学名誉教授が著書に述べている一部分を引用してみます。

 「アメリカのベストセラー作家ハーマン・ウォークの小説『戦争と追憶』は、第2次大戦を扱った大河歴史小説である。この中に、実話をもとにしたと思われる、次のようなエピソードが出てくる。 
  開戦直前のイギリス領シンガポールを訪れたイギリス女性パメラが、シンガポール総督(もちろんイギリス人)の招待で、当地のタングリン・クラブでのパーティに行く。そのクラブの前まで送ってくれたのは、シンガポールでマレー放送局を経営するマクマーアンという紳士であった。 
  マクマーアン夫妻も、そのパーティに一緒に行くものだとパメラが思っていると、彼は『私たちはパーティに出ない』と意外なことを告げる。パメラがその理由を尋ねると、マクマーアンは『私は妻と結婚したときに、このクラブを辞めたのです』と答えたのである。彼の妻がイギリス人とビルマ人の混血であったからだ。 
  戦前の白人社会には、その妻が有色人種との混血であるという理由だけで、社交クラブから脱退しなければならないほどの人種差別が存在した」  

  当時の日本は、有色人種の国として唯一先進国の仲間入りをしていましたが、その日本人と結婚することさえ白人社会ではタブーであり、この小説のような事例は数多くあったといいます。小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)とセツの逸話も思い出されます。  

  1919年、第1次世界大戦後のパリ講和会議に、牧野伸顕は日本の次席全権大使として出席。席上提案した「人種的差別撤廃提案」は期を画するものでしたが、この提案はあっさり否決されました。当時、国際連盟の5大国は日本、イギリス、アメリカ、フランス、イタリアの5カ国。日本以外は白人国家だったのです。  

  太平洋戦争では、日本は東南アジアに進攻して列強の植民地を占拠しました。大空では零戦がイギリス、アメリカ、オランダの戦闘機を圧倒的な力で叩き落し、海では世界を支配したイギリスの艦隊も、日本の敵ではなかったのです。オランダやアメリカの艦隊も同じでした。  

  結果的には負けたとはいえ、日本の活躍を目にしたアジア諸国、耳にしたインド、アフリカなどの多くの国が、いっせいに独立の気運に溢れました。植民地が独立するのを抑えることはできなくなったのです。「絶対に勝てない」と思うから盲従していた白人に、日本人は互角以上の戦いをした。これが全世界の独立運動となったのです。(つづく)

 《 PS》  沖縄・西表で指圧のデモンストレーションを行うため、今日の夕方から出かけ、9日夜帰宅します。ついては、この問題に対するあと1回の投稿は、10日か11日になりますのでご了解ください。

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