「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

「基本指圧」を目指す方たちへ

2006年12月04日 | 雑感

  上達のための要素を考えて

  基本指圧を学び始めて6年目に入った頃だったでしょうか、なかなか思うように上達できない自分に痺れを切らして、鈴木林三先生に質問したことがあります。

 「たしか5年くらいで、そこそこ圧(お)せるようになるはずですよね?」
 「うん。だから、
そこそこ後輩の面倒も見られるようになったでしょ」
 「えーっ!! これじゃ私の目標にはまだまだほど遠いのです」
 「………」

  今思えば、まるで喧嘩ごしのようで恥ずかしくなります。私はとんでもない思い違いをしていたのです。このような考え方で、まともな指圧ができるようになるはずがありません


 “技術” の世界です。何年経ったからできるようになる、という保証などありません。5年、10年でできる人もいれば、20年、30年経ってもできない人もいます。
  相撲の朝青龍は、スピード出世であっという間に横綱まで上りつめました。しかも、とても強い横綱です。何年も1人で綱を張っている、そのプレッシャーは大変なものがあるでしょう。
  おそらく数え切れないほどたくさんの成功要素があった上に、異国の馴れない環境や習慣の中で、歯をくいしばって練習してきた賜物でしょう。振り返って、自分がどれほどの思いを持って努力し、今に至っているかを考えてみると、恥ずかしくなってしまいます。

  また一口に努力といっても、ただ時間をかけて練習すればいい、というものではありません。その中身や効率は果たしてどうなのか? 物の見方や考え方も、上達を大きく左右します。
  自分の生活や仕事の環境はどうか、また、体調管理も大事な要素です。技術習得のために改善すべき余地は予想外に多いのです。

  “ 達人” とは、広辞苑によると 「学術または技芸に通達した人」 だそうです。すなわち、あるレベルに達した人を “ 達人” と言うのです。レベルに到達したその先に、それぞれの個性が光るようになり、初めて “自在” であることができるのでしょう。
  浪越(徳治郎)先生、井沢先生、門間先生、鈴木先生、それぞれの先生方を拝見すると、人間的にも、指圧の技術の上でも、皆さんとても個性的だと思います。ですから、自分で勝手にラインを引くべきではない、と私は考えています。

  
プロセスを楽しみましょう

   鈴木先生から、
「圧し方は、生き方だ」と聞いたことがあります。生きているということは、学んでいることだと思っています。だから私は、プロセスが一番大事だと思って日々精進しています。

  最近、私の回りに 、自分自身で “上達” の手応えを感じることができるようになった人が出始めています。もちろん各々のレベル内でのことです。しかし本人がそれに気付くことも、とても大事なことだと思います。
  自分で “上達” の手応えを感じることができないまま、ただ努力するばかりでは辛過ぎます。私もかつてはそうでした。“できない” ことで悩み、指圧をやめてしまおうかと何度も考えたほどだったのです。

  しかしここ数年、その辛さはなくなりました。プロセスを楽しむことができるようになったからだ、と考えています。これは、仲間と、あるいは患者さん達と、同じ気持ちを共有できるようになったことが大きいのかもしれません。
 「上達の喜び」あるいは、患者さんが「よくなる喜び」を実感することで、自分なりのレベルのなかで「楽しむ」ことができるようになったのです。真面目であればあるほど辛いばかりになり、何か自分以外の他のせいにしなくては、居ても立っても居られなくなってしまいます。それでつい、こんなに頑張っているのに何故できるようにならないのか、という気持になってしまうのでしょう。

  しかしこのような中で、その時々の自分を楽しめるようになれば、結果をあせって求めることがなくなるでしょう。わずかな上達にも喜びを見いだし、静かな気持で、しかも熱い思いを持ち続けることができるようになると思います。

   「教わる」のではなく「盗む思い」で

  それと、現在指圧を勉強している方たちに、今ひとつ伝えたいことがあります。昔はどんな分野でも、師匠の 「芸」 や 「技術」  は、「教わるのではなく、盗むもの」 と言われたはずです。

  料理人を目指しながら、どうしても師匠の味が出せずに悩んでいた者が、お客が食べたあと、下げた皿に残ったソースを舐めて味の研究をしたこと。落語の師匠に弟子入りした若者が、師匠が出演するあらゆる寄席に荷物を持ってお供し、高座の脇からその芸を見て、工夫して自分のものにした話。枚挙に暇がありません。

  そんな話を思い出しながら自分自身を振り返ると、聞けばいつでも、鈴木先生から教えてもらえる立場にあったことに、感謝しなければいけないと思っています。
 “個人” を単位として考えると、誰の許可も必要とせず、本人の意思によるイニシアティブ(主導権)を行使することができます。ですから、人生の最後まで上達を目指すことができるし、また、これほど楽しい道はないと思っています。

  以上は私個人の思考にすぎません。しかしそんな基本指圧に巡り合えたことに、私は心から感謝しています。

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