「基本指圧」に憧れて ― 村岡曜子のブログ

我が国固有の指圧を広く浸透させ、社会の保健と福祉の増進に寄与したい。

1年の終着点、新年への出発

2006年12月11日 | 指圧の活動

  昨日は年に1度の「林三の会」の忘年会でした。この会は、鈴木林三先生の教室で教えを受けた、指圧師の有志で結成されたものです。
  私はいま教室に通っていませんので、この日だけしか会えない仲間の、元気そうな顔を見るのがとても楽しみでした。真面目な話はもちろん、くだらない話に何のくったくもなく笑えるのは、同じ目標に向かう仲間だからこそだと思います。

  私はこの会で今年を振り返り、この会で来年を期すことを、ずっと繰り返してきました。私にとっては1年の終着点であり、又新しい年への出発点でもあるのです。来年も心から笑える1年にしたい、としみじみ感じました。

  若い頃は、「予感」とか「直感」と言う類の感覚は、非科学的で、なにやら胡散(うさん)臭いような気がして、私はどちらかというと信じない方でした。実際そういう感覚はかなりニブイ方だったような気がします。
  ところがここ数年、非科学的と思いこんでいたこんな感覚を、いつとはなしに信じるようになったばかりか、大切にするようにさえなってきているのです。身体の感覚と向き合って、指圧技術の修練に明け暮れているせいか、そんな中でのさまざまな体験を通してのものです。

  これは一般に「第六感」と呼ばれ、眼・耳・鼻・舌・皮膚(五官)で感じる5つの感覚(視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚=五感)と区別されていますが、自然界の生き物の大多数は持っているのに、人間だけが鈍くなっているのです。これは他の動物が環境に順応して生きるのに対し、人間は環境を変えて生活できるため、不要になった感覚が退化して行ったのではないでしょうか。
  スマトラ沖地震の津波の際も、動物の死骸は無かったと聞きました。火事になる家から鼠が前もって逃げ出すのも、昔から言われているところです。彼らは、危険を事前に察知する能力を持っているからでしょう。

  私が基本指圧に出あってからも、なかなか技術が上達せず、辛さばかりを強く感じていた時期がずいぶん長く続きました。途中何度も挫折しそうになりました。でも最近は、1年1年その辛さが楽になってきています。
  そして、
昨年も一昨年も私にとってはよい年でした。今年もお陰様で充実した年を過ごせた、と感謝しています。

  第六感を信じるようになった私には、来年はまたまたよい年になりそうな “予感” が強くするのです。今年1年の努力は来年につながる、そんなことを思いながら忘年会に参加していました。

  皆様にとっても、来年がよりよい年でありますように―――

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