爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

東京市日本橋区呉服橋3丁目1番4

2013-05-18 17:14:13 | 日記
この住所は、母が結婚する前の住所である。私の母は、末っ子で(男一人、女の子三人)、よく日本橋から神田明神のお祭りに遊びに行き、小さい母は、遊び帰りに姉におぶってもらって帰ってきた事を聞いた事がある。私は叔父さん・叔母さんには小さい時から世話になり、一人一人思い出が残る叔父・叔母であった。仲のよかった叔父・叔母そして母の生まれ育った場所が知りたくて調べてみた。東京市日本橋区は、当然、戦前の住所表記であり変わっている。明治の頃は、外壕があり、呉服橋、鍛冶橋があった、太平洋戦争で昭和20年6月に空襲があり母方の家は喪失したと思われる、戦後23年に東京駅拡張工事により外壕が埋められ(外堀通り)た。
現在の呉服橋付近
昭和3年に日本橋区呉服橋1丁目とういう表示になり、昭和22年に中央区成立時に日本橋呉服橋1丁目となった。昭和29年に再編され現在は八重洲1丁目となった。これにより西が「丸の内」東が「八重洲」となった。このように埋め立て、2度の火災、住居表示の再編で八重洲側は昔の面影がなくなった。東京駅の八重洲側はビルができ、通り名で推測するようりなかった。

この辺?なのか、まったくわからない。

少し古い建物や小さな通りもあり、かろうじて昔の面影があるが、今後、ますます開発されるのでは。

コメント
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