爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

「のぼうの城」「陸王」の行田を巡る散歩

2021-09-26 10:17:17 | 日記

9月の「退職者の会」の日帰り散歩は、県内の行田市となりました。8年前に古代蓮を中心に見学しましたが、今回は忍城址公園、水城公園、市内の寺社巡りのコースとなりました。
 ※2013.7.16UP“「のぼうの城」の行田散歩”も参考に

 秩父鉄道の行田市駅で下車する。JRの行田駅もありますが行田市観光は、「行田市」駅の方が何かと便利なようです。幹事のMさんがCopyしてくれた観光経路も「行田市」となってましたが、「足袋と暮らしの博物館」が平日休館日ということで逆コースで、行田八幡神社へ。

行田八幡神社の創建ははっきりしないようだが、平安時代中期に源頼義・源儀家が奥州討伐のために戦勝祈願で勧請したと伝えられている。「封じの宮」と言われ、夜泣き、かんの虫封じから、癌の病、難病、ぼけ封などの祈願に訪れる方が多いようです。境内には「目の神社」などが祀られ、近年、「なで桃」がパワースポットになっているようです。

次は、コースからそれて「清善寺」へ。清善寺は熊谷市にあるお寺の末寺で、永享12年(1440)の創建と伝えられています。慶長9年(1604)には、徳川家康より寺領30石の御朱印状を拝領している。入口の大きい燈籠には新兵衛地蔵尊とあり、他にも新兵衛地蔵尊の碑が立ってました。新兵衛なる人物は、呉服商の番頭であった大澤新兵衛で、その長男の大澤龍次郎さんが寄附したものです。大澤龍次郎氏は、産業界から金融関係の大澤証券(現・インターネット証券大手のSBI証券)を設立し社長として活躍。行田市の福祉、消防、教育関係他に浄財を寄附した。清善寺では無縁墓石の整備や清善寺の通りに石で出来た橋の痕跡があったが欄干に「新兵衛橋」とあった。これも大澤氏に関りのある橋なのだろう。川は、埋め立てられており欄干も撤去すればと思うが、住民の大澤氏への感謝の思いが残させたのか。

ここで昼食のため「清善寺」の近くにある「あんど」というお蕎麦屋さんへ。行田市の足袋蔵を大改装したお蕎麦屋さんであった。「あんど」の蔵は「奥貫蔵(おくぬきぐら)」間口9間、奥行3間の2階建ての土蔵で「ほうらい足袋」の商標で知られた、奥貫家が大正~昭和の初めに建てられたと言われる足袋蔵です。
足袋蔵の内部はどうなているのかと思うほど変わっているようで、リノベーションと言ったほうが良い位こだわった内部でした。飾り、音楽もこだわり、メニューも凝っています。天ぷらセットを食べましたが、彩の良い野菜、出汁のきいた御飯、天ぷらは野菜中心でお塩でサクサクと食べます。もちろん蕎麦はコシのある蕎麦で、また、訪れたいお蕎麦屋さんです。

コースに戻り、天満社に入る。ここの住所は、行田市佐間と言う所で、案内板には「佐間天神社」とあった。
神社といえば鳥居ですが立派な山門がありました。慈眼山安養院の守護神として天神社を勧請したようです。忍城の戦いでは、石田三成の軍勢を正木丹波守利英(忍城主・成田氏長の重臣)がこの「佐間口」で守りを固め死闘を繰り広げたと伝えられています。境内には、樹齢400年以上の欅の巨木があり、市の文化財に指定されています。

天満社の向かいにあるのが高源寺で、ここも忍城に関係のあるお寺で、忍城の戦い後に正木氏は、武士の身分を捨て現地に留まり、豊臣方、成田方双方の戦死者を弔うため高源寺を建立しました。

行田市民の憩いの公園が水城公園で、天満社の裏手にあたる位置です。この公園は、昭和39年に開園したもので忍城の外堀跡を利用して造られました、埼玉県初の都市計画公園。元々は、忍沼と呼ばれた天然の沼で水と湿地に囲まれた堅固守備の城で「浮き城」とは呼ばれた所以だったのでしょう。四季折々の花が咲き桜の名所としても知られています。園内には記念碑、古い建築物があります。
※1.旧忍町信用組合店舗
行田市の足袋産業を支え重要な役割を果たした「旧忍町忍町信用組合」。行田市の中心街で営業していた大正期の木造洋館を移築復原したものです。現在は、カフェとして活用。
※2.田山花袋の文学碑(田舎教師の碑文)
田山花袋の小説「田舎教師」の文中に主人公・林清三の実家が行田の古城跡の方にあったと書かれています。
碑には、「絶望と悲哀と寂寞とに 堪へ得られるやうな まことなる生活を送れ 運命に従ふものを勇者といふ」と刻まれていました。運命に逆らてはだめですネ・・・
田山花袋は、群馬県館林の生まれで、以前、文学館を訪れた事がありましたが、そちらのブログも参考に2016.08.09UP「猛暑の中、館林を歩く」
※3.三船久三
柔道家、講道館10段で名人と言われた、招聘で行田市を訪れた記念の三船十段偉業の碑。
※4.大澤龍次郎像
行田市のため尽力した大澤氏の像、のちに行田市名誉市民に。
※5.林頼三郎の碑
行田市出身の刑法学者、検事総長、大審院院長、司法大臣を歴任、行田市の名誉市民でもある。
水城公園は、平日にも関わらずご同業(年金生活)?大勢釣りをしていた。釣り人の間には「さぎ」が羽を休めていた。近くで「さぎ」を見るのは珍しい、近づき写真を撮っても動かない。皆それぞれ写真撮影、良い写真が撮れました。

水城公園を後にし、忍城へ。埼玉県には観光としての城は9城あるが見応えのある城は忍城と言っても過言ではないだろう。室町時代の文明年間(1469~1487)に築城されたと考えられている、難攻不落のお城です。
明治初期の城の取り壊しにより忍城も取り壊されたが、「忍城御三階櫓(おしじょうごさんかいやぐら」が再建された。

今日は、久々の晴れ間で湿度が高く、忍城の前にある「東照宮・諏訪神社」を立ち寄り帰る事に。信号を渡った鳥居の所に諏訪神社、参道の先に東照宮がありました。同じ境内に二つの神社を祀っているようです。東照宮は、派手なイメージがあるが、ここの東照宮はこじんまりした東照宮でした。

2回目の行田市訪問だったが、まだまだ観光スポットがあるようだ。


【その他のPhoto】

 

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