爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

神宮外苑のイチョウ並木などを巡る散歩

2023-12-19 13:17:57 | 日記

12月の「退職者の会」日帰り散歩は、神宮外苑のイチョウ並木の黄葉と、付近の社寺、将棋会館を巡るコースを企画してくれました。このコース以前にも実施したコースです。前のブログ「神宮外苑のイチョウ並木などを巡る散歩(退職者の会:日帰り散歩)」(2017.12.07UP)も参考にして下さい。
☆コース☆
      ・神宮外苑イチョウ並木
      ・高徳寺
      ・熊野神社
      ・龍巌禪寺
      ・仙壽院
      ・榎稲荷神社
      ・瑞圓禅寺
      ・聖輪寺
      ・鳩森神社
      ・将棋会館

前回と同様、地下鉄・青山1丁目駅で下車するが6年ぶりのため方向感覚??やっとのことでイチョウ並木に到着、TVではイチョウ並木の賑わいを報道していた、外苑のイチョウ並木(約300m)に来ると映画「第三の男」ラストシーを思い出すが、今年は異常気象のせいか入口の2~3本程がイチョウの葉が残っていたが想像する並木径ではなかった、そうそうに寺社巡りに移る。

高徳寺
左右レンガ塀の奥に本堂があるお寺である。お寺でレンガ塀はあまりないので前回訪れた印象があった。入口に「河内山宗俊之墓」の案内石があったが碑はあったが墓石は見つからなかった。

青山熊野神社
青山総鎮守となっています。
明治維新時に発布された神仏分離の令により1869年(明治2年)に「青山熊野神社」と改称。 青山熊野神社は華麗な社殿を持つほか、俗謡に「青山に過ぎたるものが二つあり、鳶の薬缶に原宿の山車」と唄われ、盛大な祭礼でも知られる。もとは赤坂紀州家邸内に祀られていたが、町民の願いにより現在の地に遷座したと伝えられている。

龍厳禅寺
「勢揃坂」の中ほど国学院高校(近衛連隊跡)前に龍厳禅寺がある。門前には檀家以外については公開してない旨の表示があったが、幹事のMさんが事前に許可を受け境内を見学させていただいた。さほど大きくない境内には四季折々の植物が植えられ目を楽しませてくれる、義家が腰掛けたと伝わる「腰掛石」がある。この腰掛石の側には、松尾芭蕉の「春もやや けしきととのふ 月と梅」の句碑がある。この句碑の上半部は、1945年(昭和20年)の空襲で欠損している。本堂前の墓地にに、4基の円墳型の大きい墓があった、広島の浅野家の墓所で珍しい墓石であった。

かつては「笠松」または「円座の松」と呼ばれる松の名木があった。『富岳三十六景』や『江戸名所図会』にも取り上げられるほどの名所であった。しかし、その後枯れてしまい、この松は現存していない。

当寺には「蛇体弁天」という弁才天を所蔵している。明治期に当時の住職が境内の崖に埋もれていたのを発掘したものである。「原宿の弁天」の異名もある。ひっそりしたお寺であるが歴史のあるお寺である。
※なお、境内の公開をしてないため、写真については入口のみにしました。

仙壽院 舌状台地の高台に位置する仙壽院は、前回のオリンピックの影響を受けたお寺である。1964(昭和39)年に墓地の下に「千駄ヶ谷トンネル」を掘って都道が建設されました。今では、墓地の下のトンネルが心霊スポットとして有名な場所となっています。
仙壽院は、お万の方(徳川家康の側室)ゆかりのお寺で本堂前に石碑がある。

榎稲荷神社(お万榎)は、榎の巨木があったことから呼ばれた(今はありません)。「お万の方」が信仰したと伝えられる。小さい稲荷で、細い階段の中ほどに石の祠があり、さらに上がると木の祠があった。この階段は瑞圓寺の裏手の階段になっているようです。狐の像や観音像が置かれているが長い年月で痛みが激しい。

瑞圓禅寺は、榎稲荷に隣接しているお寺です。鳩森八幡神社の別当寺であった。境内には梅林がありきれいなお寺です。本堂横に無縁塔があり、最上段に区内では珍しいとのことですが、六面地蔵像を浮き彫りにした六面塔があります。また、同じ本堂横に庚申塔二基あり、青面金剛や三猿が彫られています。二塔には、上部に家紋が彫られている珍しいものです。側面には稲穂をくわえた狐が彫られており、稲荷信仰が表現されているのは大変珍しい庚申塔です。

聖輪寺(しょうりんじ)
  観音坂の名は、聖輪寺の本尊が如意輪観音であることに由来します。境内には見守不動がありました、その功徳からか門前の観音坂では事故がないとのこと。本堂左手奥に綾部燈籠(キリシタン燈籠)がありました。大きい燈籠かと思っていたら、小さいものでした。

 鳩森神社・将棋会館近年の将棋ブームで来訪者の多い場所である。神社一帯は、門前町も形成され、定芝居や水茶屋、楊弓場が常設され遊興の場となっていた。
隣にあるのが将棋会館です。いいニュースがない昨今、将棋の藤井さん、野球の大谷さんだけが明るい話題で、将棋会館も訪れる方が多い。

外苑のイチョウ並木は、残念でしたが巡った寺社で紅葉を楽しむことができました。
戦災の影響を受けた寺社やオリンピックや都市開発の影響を受けた一帯でもあり、昔の面影を探すのも大変である。さらなる開発が予定されているようです。 


【参考資料】
・ウィキペディア
・渋谷区教育委員会


《その他のPhoto》


千駄ヶ谷を歩いていると、「東京新詩社跡」の碑がありました。
 東京新詩社・・・明治32年、与謝野鉄幹が設立した結社。翌明治33年「明星」を発行。与謝野晶子・石川啄木・小山内薫・木下杢太郎・北原白秋らが参加した。浪漫主義文学の牙城となる。案内板には、明治37年11月に中渋谷からこのあたりの千駄ヶ谷大通りに移りました。与謝野明子は、詩歌集「みだれ髪」などを刊行し、寛(鉄幹)もしきりに短歌会を催すなどして機関紙「明星」も隆盛を極めました。しかし「明星」は百号で廃刊となり、その後、移転しました。

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