爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

「大人の休日パス」フル利用 盛岡編

2015-11-20 10:30:33 | 日記
翌日、両親の墓参りのためタクシーにて名須川町のお寺に行く。お参りを済ませ、盛岡市内を散策する、県庁通り、大通りを歩き中津川河畔に着く、現在は、市民の散歩コースとして整備している。「よの字橋」側に「新渡戸稲造」の像があったが、妻の学校の初代学長が「新渡戸稲造」のため、写真を撮ったが眼鏡を掛けた像でないためイメージが違った。橋を渡り紺屋町へ、この辺は古い盛岡が残る一帯でもある、古い消防第5分団は旧よ組で「よの字橋」の名はここから来ているようだ、また、への字型の商店、盛岡信用金庫本店、岩手銀行中の橋支店など貴重な建築物が多い。

さらに川添に下り「下の橋」の近い所に「新渡戸稲造」の生家跡が残されている、盛岡城(別名 不来方城)には「願はくはわれ太平洋の橋とならん」という国際人「新渡戸稲造」の格言の碑がある。同じ盛岡城に「石川啄木」の歌碑「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸われし十五の心」がある、盛岡城は石垣のみの城跡である、盛岡城に来ると、石川啄木のこの短歌が思い出され、私の好きな短歌でもある。

昼近くなり新渡戸稲造も利用した「公会堂多賀」で食事をする事に、岩手県公会堂の地下にあるが、日比谷公会堂と同じレトロ感いっぱいのレストランである。入って右に「新渡戸稲造」に関する物を陳列している。久々に格式のあるレストランで食事をしました。

食事後は、盛岡駅に向かう途中にある、「啄木新婚の家」に立ち寄る平屋の家屋で両親、妹と5人で生活していたが、短期間の住居ではあるが、啄木の現存する遺跡は少なく貴重な建築物となっている。

盛岡駅より田沢湖線にて実家に立ち寄る、足がおぼつかない姉に会うと、私たちも年をとったなと思うとともに、実家も変わり寂しさだけが残る。学生時代、郷土地理学の先生が、「ふるさと」は「親」と「土地」のある場所と言ってたが、薄れていくものだと感じる。滞在が短時間で申し訳なかったが、新幹線に乗車し埼玉に帰る。
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