爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

「江戸東京たてもの園」へ

2014-04-25 21:44:40 | 日記
 前に「看板建築」を取り上げたテレビ番組を見たが、その保存されている場所が小金井市にある「江戸東京たてもの園」であった。
「江戸東京たてもの園」は、両国にある「江戸東京博物館」の分館として失われつつある歴史的建造物を復元・保存・展示し文化遺産として継承する事を目的にしています。
そのため、看板建築のみならず、農家・一般住宅・高橋是清邸など多くの展示物が広い敷地に再現している。中まで入れる建物もあり、タイムスリップさせてくれて楽しい。
○看板住宅
 「看板建築」とは、関東大震災後に商店などに用いられた建築様式。それまでの一般的な商店は、軒が大きく前面に張り出した「出桁造」であったが、「看板建築」は建物前面を平坦にしモルタルや銅板で仕上げて装飾をつける様式である。
たてもの園では、武居三省堂(文具店)・花市生花店・植村邸・丸二商店(荒物店)・大和屋本店(乾物屋)です。表は洋風で裏は和風といったアンバランス。地元の大工さんが建てる事が多いようで、前面は見よう見まねでも中は今までの建てかたとなっている。

○凝った一般住宅(前川國男邸・田園調布の家・小出邸)
建築家の設計思想は、今も昔も変わらない、随所にモダニズムが表現されている。
前川邸は、日本建築界をリードした人物で、丹下健三氏は前川事務所の出身である。
戦中の建築資材の厳しい中、電柱の柱、木のレールなどを利用、屋根は切妻の和風、内部は吹き抜けに広い窓です。

小出邸は、ヨーロッパから帰国後、当時、オランダで流行していたデザインと日本的な建築の融合した造りになっている。建物は、敷地に平行ではなく変形した建てかたにし、内部は窓・障子を幾何学的に異なるデザインにしている。

田園調布の家は、鉄道省の役人だった大川が震災後に居を移した建物で全室洋室で内部は斬新な要素が多く盛り込まれている。田園調布は、渋沢栄一らによって理想的な住宅地の開発された一帯で、当時は中堅層向けの住宅地であったが、住宅の新改築に際しては厳しい制限と環境保全につとめ、現在の高級住宅地と言われるまでになった。

○八王子千人同心組頭の家
江戸幕府で現在の八王子に配置された郷土身分の幕臣集団で任務は甲州口の警備と治安維持にあたった。千人同心は、甲斐武田家の滅亡後に武田遺臣を中心に地侍・豪農などで組織され平時は農耕に従事する半士半農であった。展示の家は、広くはありませんが、式台付の玄関などは、格式の高さを示しています。

○出桁造り(小寺醤油店・鍵屋・仕立屋)
江戸・明治・大正の関東大震災までの商家は軒が前面に張り出した出桁造りであった。庇の深い立派な軒が機能的な装飾と商家の格を表した。

○その他の建造物

「江戸東京たてもの園は」、休憩室・食事・売店などが充実、展示物も多く、調度品などが置かれ生活の場を再現していて昔の生活がしのばれ、ゆっくり観覧できた。
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