爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

船橋市を散策

2022-04-01 11:36:22 | 日記

船橋に現存する、商家と「船橋」の地名の由来となった海老川に架かる橋を訪ねる。
船橋駅で下車する。

船橋市は鉄道が9路線が通る、千葉県2番目の大きい都市である。人口64万人で政令指定市を除くと、全国的にも一番人口規模の大きな市である。船橋市の社会経済状況をみると、東京から20Km圏内ということで交通手段は鉄道・徒歩が多いが、自動車が2割、自転車も1割と様々な手段が利用されている。製造出荷額や年間商品販売額は増加傾向にあり、市内の産業は卸売・小売が中心となっている。道路状況をみると、人口規模割には道路整備が遅れており、幹線道路に交通が集中し、渋滞が発生し県下ワーストクラスの旅行速度となっている。道路集中量は、通勤目的の集中が県内5位、業務目的の発生集中は県内2位となっている。道路計画を有しているが、整備率は県内でも低い状況である。(船橋市役所発行の資料による)
船橋の幹線道路から脇道や住宅地の道路状況をみると整備が遅れていることは理解できる。

駅前の通りから目的の本町通りに入る。商家はこの通りに2軒現存する。古くから港町と宿場町として栄え、今なお古い商家が点在し営業している。


〇森田呉服店
 江戸時代末期、本家から分家して創業。今の建物は明治5年建築、明治の2階建て商家の様式が感じられます。店舗の入り口に数十年前の写真が飾られていましたが、店主のお話では外見は昔と変わらないとの話でした。店内はスッキリした内部で古さを感じさせない。戦前は着物の販売、現在は、浴衣、手拭い、和装小物、バッグなどを販売。戦後は、本町通りは大神宮参拝者で賑わい、夜遅くまで営業していたとのことです。

〇廣瀬直船堂
 安政年間創業の和菓子店で、現在の店舗は大正7年建築の2階建て、江戸時代にみられた出し桁造りの様式。江戸時代は、「成田街道名所せんべい」が人気、成田詣での旅人がよく立ち寄ったとのこと。大正から昭和にかけては「真中まんじゅう」を売り出し、名物の土産として販売してました。

本町通りを歩いているとビルの谷間に鳥居がありました、鳥居の石板に厳島神社とありました、説明書もないので船橋宿と同時期の江戸時代の創建なのか?名称から広島の厳島神社と繋がりがあるのか?

さらに先の奥まった所に赤い鳥居がありました。御蔵稲荷神社とありました。現在地周辺に徳川家康が船橋御殿を建て、二代秀忠、三代家光と使われてきました。一角に九日市村のの飢饉に備え穀物を蓄えておく御蔵が建てられました。この郷では飢饉にも餓死した者はいなかった。寛政3年御蔵は出水のため流失。地元民が御蔵への感謝をこめ稲荷祠を大きく建て直した。文人太宰治氏は、ひなびた御蔵稲荷を好み、その作品にも書き残し、いくつかの口絵写真でも御蔵稲荷を背景に使っている。

隣の公園にこの辺一帯が船橋御殿跡の説明書がありました。船橋御殿は、海老川西岸の標高約3mの砂州上にあり、東京ドームより広かったようです。御殿は、中世の城と同じような防御用の土塁や堀があり、軍事的な拠点の役目もあったようです。

本町通りに戻ると京成本線の高架が見えてきました、その手前の川が2級河川の「海老川」です。何人かの人が橋の上で立ち止まっている所を見ると、ここが船橋地名発祥の橋だ。近づくと橋名が「海老川橋」とある。おもわず「船橋」じゃないんだ!橋の真ん中に船首が橋から突き出ているようなオブジェや、故・泉重千代さんの手形がありました、別名「長寿の橋」と。何故、故・泉重千代さんがと思うが、長寿記録の信憑性が出ているが・・・
地名の由来は、江戸時代の「船橋」は船橋五日市、船橋九日市村、船橋海神村があり、総称した名前であるが、その由来も海老川河口に小舟を並べその上に板を敷いて橋がわりにしたことによる、当時の、海老川は川幅が広く、水量も今より多く、橋を渡すのが困難だったようです。
海老川に架かる橋は、それぞれの橋にオブジェがありました。「七福神巡り」ならぬ「海老川の橋巡り」(13橋)もいいのでは。

本町通りの突き当りに大きな鳥居があり、ここが大神宮下である。京成本線にも「大神宮下」の駅名があり、大きな神社であることがわかる。階段上がった小高いところに社殿などがある。「日本三大実録」や「延喜式」神名帳に意富比神社の名がある船橋市を代表する神社です。通称「船橋大神宮」で1900年以上の歴史を持つ古社でもあります。400年以上続く奉納相撲、神楽の奉納などの、行事がおこなわれています。境内は綺麗に整備され、雑然とし市街地の中で、ここだけが空気が違う印象です。

境内にある「灯明台」(県指定文化財)は、木造建築で高さが12m、明治13年(1880)建造の擬洋風建築で光の距離は11km、海の安全を守ってきましたが、現在の風景からは想像できません、船橋のシンボル的な存在です。

その他、訪れる予定の「東照宮」「つるや伊藤」が見つかりません。「東照宮」の神社なら誰かは知っているかと思ったが甘かった。同年代の方にお聞きしたところ、分かりにくいからと案内までしてくれ、「つるや伊藤」まで道順を教えてくれました。感謝感謝です。案内してくれた方の話では、日本一小さい「東照宮」と言われ、家康が九十九里の帰りに立ち寄った場所で、御殿のあった場所との事、現在は町会で管理し行事のときに大神宮から宮司さんが来るとのこと。

もう一つの商家「つるや伊藤」は、手ぬぐいから舞台設備まで扱う船橋の老舗商家。安政元年に創業し168年、現在の建物は江戸時代建築の平屋を大正期に2階を増築したようです。
江戸時代の染物の技法を今に伝えています。手拭い、祭り用品、山車幕、校旗、緞帳などを制作しています。

この他にも、まだまだ立ち寄りたい所もありましたが歩き疲れて帰ることに。帰り道、駅近の脇道、飲食街の場所に「道祖神社」がありました。名前からして江戸時代と思われるが、場所がら商売人のパワースポットになっているかもしれません。

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