爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

位置の基準として100年を超える「日本経緯度原点」訪れる

2020-01-20 18:40:35 | 日記

以前、憲政記念館付近の「日本水準原点」を見学した際、経緯度の原点はどこ?と疑問になったが、今日、行くことができた。
国土地理院によると、原点の場所が港区麻布台にあるとのことで地下鉄「神谷町」駅で下車し、ロシア大使館の裏を目指す。

☆寄り道☆ 西久保八幡神社 
歩いていると鳥居が見えたので立ち寄る。鳥居から急階段となっているが、左に坂がありこれが女坂なのだろう、上に上がると残念、工事中の囲いで社殿が見られなかった。創建は、寛弘年代(1004~1012年)で霞が関付近にあったものを太田道灌の江戸城築城の際に現在の場所に移転したようです。境内で縄文時代の貝塚が発見されたそうです。

☆寄り道☆ 雁木坂と狸穴坂
八幡神社の隣に霊友会ビルがあり、その前に「雁木坂」の説明標識がありました、坂というより階段でした。階段になっている坂を一般的に雁木坂というそうで、敷石が直角に組まれていたことから言われているようです。(雁が斜めに並んで飛ぶ様子から?) 階段を上がると、また、説明標識がありそれには「狸穴坂」とありました。「まみ」とは雌タヌキ・ムササビまたはアナグマの類で、昔、その穴が坂下にあったという。(採鉱の穴であったという説もある)

ロシア大使館前は、警察官の警備が厳重である、アメリカ大使館も同じであるが、日常的に警備をしている。こんなに厳重にしないといけないのかと思う。ロシア大使館の脇の道を歩くと隣に東京アメリカンクラブという建物があった。ロシアとアメリカが隣同士というのも皮肉なものである。東京アメリカンクラブは、1928年設立の会員制社交クラブのようです、今は、アメリカ人だけではないようです。

突き当りがアフガニスタン大使館であるが、その前が目的の「日本経緯度原点」である。何でこんな空き地にと思う場所でした。水準原点は、かつて陸軍省参謀本部陸地測量部の場所でしたが、ここは??
1874(明治7)年、海軍水路寮がこの地に観象台をつくり、天文観測を開始、1888(明治21)年には内務省地理局天象台と東京帝国大学天象台と合併し、東京帝国大学付属の「東京天文台」が発足。1923(大正12)年の関東大震災後は、復興事業による市街化の進行とともに天文台の観測に適さないため移転し、太平洋戦争後は敷地の管理が現在の国土地理院管理となりました。

仕組み?   国土地理院の資料抜粋 
  ※小生の理解度では説明がつかないので・・・

私たちが日頃お世話になっている地形図・デジタル地図などは、2ヶ所の原点が基準になっている。兵庫県明石市の日本標準時を定めた根拠である東経135度の子午線も「日本経緯度原点」からの基準であり、地図上の基準点ではない。
現在の原点の経緯度の数値は宇宙技術を使い数値化している、平成23(2011)年の東日本大震災の地震による地殻変動も数値化し改定されている。

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