このコロナ禍のなかオンライン講座か!!と、思いたくなるが、学校・大学では経験済みで大変だったろうと・・・、気楽な隠居の身の小生にとっては繰り返し聞けるので、これも良しか。
鳥瞰図については、前、埼玉県文書館地図センターが主催展示「鳥瞰図の世界」(2014.9.12UP)以来である。絵師の吉田初三郎は初めて聞く名であった。
講演は、医師、学芸員で私設「八戸クリニック街かどミュージアム」館長である小倉 学氏であった。このミュージアムは、父である前館長が鳥瞰図のコレクターで収集した作品を展示するために開館した私設ミュージアムである。木版画2000点、鳥瞰図3000点、吉田初三郎の鳥瞰図2000点、映画ポスター5000点を収集したとのことで驚きである。
吉田初三郎は京都生まれである。幼い時に父と死別、絵画好きから友禅図案師。のち洋画を学びながら商業美術に進み三越図案部などで勤務。
吉田初三郎の最初の鳥瞰図は、1914年の「京阪電車御案内」である。修学旅行で京阪電車の乗車した皇太子(のちの昭和天皇)の賞賛を受け持ち帰ったことから、大正から昭和にかけての観光ブームにのり鳥瞰図の依頼を受けた。犬山市や八戸市へ拠点を移し弟子たちと共同で多くの鳥瞰図を作成した。生涯にわたり3000点以上の作品を残し「大正広重」と言われた。
吉田初三郎 (資料)八戸クリニック街かどミュージアム
作風は、商業芸術の先駆者であることから独自の作風である。「大正広重」と言われるとおり広重の写実的描写、独自の景観表現、独特な遠近法、構図などは自他ともに「大正広重」である。もうひとり影響をあたえたと思われるのが幕末に人気のあった、歌川貞秀である。歌川貞秀は、「空飛ぶ絵師」と言われ、浮世絵にはない壮大な構図・鳥瞰図が特徴です。
鳥瞰図は、吉田初三郎以外にも多くの絵師により作成されてきた、金子常光は吉田初三郎の弟子であり最大のライバルでもありお互いに鳥瞰図の発展に寄与した。
吉田初三郎の鳥瞰図は、地域を多面的に観察していた。吉田は、鳥瞰図の他にパンフレットや雑誌を出版していたが、その中の一つ「KWANKO」(観光)では副題として交通・文芸・芸術・学事とあり、その地域をいろいろな分野から掘り下げている。犬山市に工房のあった10年では、現地の地名等から桃太郎の生誕の地ではないかと桃太郎神社を創建するなど、地域の観光を盛り上げ、プロデュースしている。
(資料)国土地理院
歌川広重は、東海道五十三次で俯瞰的な構図でありながら人物描写が上手く、旅心を上手く描いている。吉田は、俯瞰的構図から鳥瞰図として地域を描いてきた。縮尺や方角・距離を犠牲にし該当地の地理・歴史を調査、現地での実地調査スケッチし鳥瞰図に落とし込んでいる、一般的には平行投影図法による鳥瞰図であるが、吉田は、独自の作風を確立し該当地をデフォルメし浮き出し、見えないはずの富士山やアメリカを表記している。
吉田初三郎と八戸市の関係であるが、昭和7年十和田湖が国立公園候補地に決定され実地調査スケッチを終え、八戸市の鳥瞰図作成に入り、市内の種差海岸の景色を「日本一の絶景」と言い、八戸市に工房を設けるなど八戸市の発展に寄与しました。
鳥瞰図も現在は、合理的で正確に図案化出来るようになってなっているのでしょうが、当時も写真はあるものの絵師の感性、美術的素養がより求められた、鳥瞰図は芸術品であり、吉田初三郎は鳥瞰図に旅心を盛り込み観光ブームを築いた商業画家である。
北海道 鳥瞰図4点 (資料)八戸クリニック街かどミュージアム
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