「駒沢給水塔」と「向井潤吉アトリエ館」の見学を目的に田園都市線桜新町で下車する。途中、神社があったので立ち寄る、地図には桜神宮と表記しているが、明治13年(1880)に設立したというから、そんなに古い神社ではない。鳥居の横に「自習教本祠」の石碑があったが、神社や神道のあり方に問題意識をもち、本来の神道に戻すことを目的として設立したようです。
駒沢給水塔は、都民の日に、例年、一般公開しているとのことで訪れたが、コロナ禍で公開してないのか?門が閉じたままだった。残念!・・・
住宅街の中にある駒沢給水塔は、緑に覆われていて廃墟のようであった。「双子の給水塔」で有名な施設であるが、施設内でないと写真は良いアングルで撮れない。
この施設、大正13年に当時の人口増加の著しい渋谷町(現・渋谷区)の水道供給施設として竣工した、現在は、非常時用の応急給水塔として機能しているようだ。洋風の装飾等の意匠がほどこされていて、お城のような建造物である。
施設の役割は、多摩川河畔に取水所(砧下浄水所)を設け駒沢の給水所まで送水し、ポンプの力で給水塔に押し上げた後、重力で渋谷町へ送水された。 給水塔は、内径約13m、高さ30mで王冠を連想させられ装飾電球が付けられている、トラス橋で両塔が結ばれており独特の建築となっている。そうした建築から江戸川乱歩の怪人二十面相のアジトのモデルになったそうである。なお、この建築物は、土木学会選奨土木遺産、地域風景資産選定に選ばれています。
良い写真が撮れませんでしたので、「駒沢給水塔風景資産保存会」の写真を。
残念な思いで、近くにある「向井潤吉アトリエ館」へ。このアトリエ館、古民家だけの作品を展示している。
向井潤吉氏は、開館にあたり、「町の緑が次々と失われて行くことは悲しいことです。アトリエと作品を文化振興や自然保護に熱意のある世田谷区に寄贈し、日本の風景美や伝統の大切さを少しでも伝えることが出来、60年もの長い間お世話になってきた、世田谷区の美術文化の発展と青少年の啓発にお役に立てば幸いでおります。」と。向井潤吉の描いた民家と風景は今は見ることができない。古民家を見るには、市町村の保存公開している古民家を見るしかない。小生も保存されている古民家を訪れれことがあるが、街並みや風景の中の古民家は見られない。
館内には、向井氏の油絵、水彩画の作品とパレットやイーゼル、家具類が配置されている。アトリエでの作品展示は、美術館とは違い向井氏が仕事をしている様な感じをうけた。
向井氏が好んで描いた制作地は、
1.埼玉県 340作品 32%
2.長野県 205作品 19%
3.京都府 138作品 13%
4.岩手県 72作品 7%
向井氏が制作に励んだ時期
前期 2月~4月
後期 10月~12月
前期は、関東だと梅の時期
後期は、紅葉、新雪
気候のいい時期は、繁茂した木草が邪魔になるそうだ。
旅のお土産として、包み紙や箸袋をスクラップしていた
作品を観ると、忘れかけていた郷愁がよみがえってくる。ホッとする瞬間であるが、向井氏の作品でしか今では感じることしかできない。
向井潤吉アトリエ館には、失われた原風景とそこでの暮らしを想像させられる。
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