爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

歴教協関ブロ プレ企画 「等高線のない街 -草加ー」

2016-12-25 14:57:10 | 日記
歴史教育者協議会関東ブロック集会が、埼玉県草加市の獨協大学で行われた。開会前に「プレコース 日光街道草加宿成立から現代まで」と題し、現地企画が開催された、いわゆる、地理で言う「巡検」である。10時に東武スカイツリーラインの松原団地駅改札口に集合、2時間のコースで内容の詰まった企画である。説明は、退職者の会会員でもあるH氏が説明してくれた。
松原団地は、旧日本住宅公団が開発し昭和37年入居開始した、当時としてはマンモス団地である。老朽化のため現在は再開発中で駅前は終了しており、さらに順次開発を進めている。
獨協大学正門前に進み「伝右川」の説明を受ける、伝右川は、さいたま市見沼区の田園地帯に源を発する利根川水系の1級河川で新田開発を目的として開削された河川であり、さいたま市、川口市、草加市と流れて東京都足立区にて綾瀬川に合流する。草加市においては、綾瀬川と共に東京に流れいるが、草加に限らずこの地域は表題の「等高線のない街」の通り、高低差が少なく水害との闘いでもあった。伝右川沿いに歩くが、回りが住宅地となっているが、浸水防止のため川沿いは土盛りをしている。現在は、河川改修、浄化等の改善が行われたため昔の面影が失われている。


次の「草加せんべい」のお店に行く手前にある、鈴木喜美子記念館「ミュゼ環」に立ち寄る、草加市出身で日本の公害の原点である、足尾銅山をライフワークとして長年描き続けてきた、足尾銅山の廃墟を描き、多くの人に訴える作品として展示されていた、今集会の2日目には現地見学として足尾銅山鉱毒被害地をめぐる企画もされていた。
明治3年創業の源兵衛せんべい店を見学する、間口はさほど広くないお店は、大正、昭和の博覧会等で多くの賞を受賞してきた草加では名店の一つでもある。草加せんべいは、元々は塩をまぶして焼いていたのが始まりで宿場とともに広まったと言われ、その後、野田の醤油で味付けをするようになり、現在の「草加せんべい」の原型となった伝えられている。
通りからガラス越しに、干しあがった生地を焼いていた、「押し瓦」と「はし」を使って焼く光景は草加市ならではである。醤油の焼けた匂いが何とも言えない・・・



旧日光街道を北に向かい松並木を通り松原団地駅に戻る。この一帯は草加市では一番整備された場所でもある、太鼓橋、銅像、句碑など散歩コースとしては最適である。その中の一つ「札場河岸公園」に立ち寄り、昔を知る事ができる2カ所を見学した。
草加市神明にて「綾瀬川」と「伝右川」が接近するがここに「甚左衛門堰」が設けられた、寛永年間に綾瀬川の改修と伝右川の開削工事が行われ、その際、灌漑用水の引水と増水時に両河川を結び江戸時代より調節してきたが、現存する堰は明治25年に再築されたレンガと石を組み合わせた2連アーチの堰である。現在は、隣に神明排水機場が稼働している。もう一つの昔の名残が河岸場の石組である復元されたものだが、綾瀬川は、舟運が利用し船着き場があった、昔は石段が長く続いていたのだろう。
帰りは松並木を歩き解散場所に戻ったが、参加者や訪問先で思いがけない人にお会いすることができ有意義な時間を過ごした、企画された埼玉県歴史教育者協議会に感謝申し上げたい。


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