爺の社会科見学

年金生活12年目に突入。好きな地理と写真を生かした、一味違ったブログを目指して。

大間野町の旧中村家住宅を見学

2016-08-19 17:08:18 | 日記
越谷市には2家の公開古民家がある、先週見学した「旧東方村 中村家住宅」と今回の「大間野町 旧中村家住宅」である。「旧東方村 中村家住宅」は、越谷市指定有形文化財に指定されているが、建築年代が大正時代のためか「大間野町 旧中村住宅」は「越谷市保存民家」となっている。ちなみに、苗字が同じ「中村」だが両家とも姻戚関係もないとのことである。
市の資料によると「大間野町 旧中村住宅」は、豊臣方の小西行長お家臣で、関ケ原の合戦の後に徳川方へ従い、関東に移住し、この地を開拓したと伝えられている。江戸時代には、旧大間野村の名主を勤めていました。
現在の敷地が昔ながらのもので、移築したものではなく大正3年建築の主屋をはじめ、長屋門、石蔵、土蔵が建てられています。現在では失われつつある伝統的な建築技法が用いられ、復元の際には古材の再利用されています。


★長屋門★
明治19年に建築され。寄棟造、桟瓦葺、中央にはケヤキの一枚板の扉、潜り戸、外壁は鼠漆喰(灰色)です。
使用人の部屋があり、小窓から長屋門の出入りが把握できた。





★主屋★
明治42年着工、大正3年に完成した、式台付玄関や書院造の奥座敷を持った江戸時代の名主の特徴を有する格式ある住居である。込栓・継手の工法により釘を不使用、奥座敷には銘木と言われる「黒檀」を使用、大黒柱は35㎝角のケヤキなど随所に凝ったところが見られます。







★石蔵★
石蔵は比較的新しく昭和初期に建築されたものです。房州石(鋸山産)で作られ入口は右側が漆喰塗、左が木製で格子戸が取り付けられていた、中はスノコを敷いて米蔵として利用していた。



★土蔵★
明治27年に建築されました。2階に上がる階段には箱階段が設けられてる他、2階の床には格子状の明り取りと大きい長持ちなど格子を外し持ち上げて収納したとの事です。
旧大間野村は綾瀬川に近く氾濫対策が土蔵や土間に講じられている。



名主制度は、明治維新と共に役割等は無いが、 地主への土地の集中がみられた、その後、大正デモクラシー・昭和の大恐慌と続き衰退するが、旧中村家住宅はその最後の良い時代の建築物でもある。

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