こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

東京オリンピックからなにか得るものがあるとすれば

2021年08月06日 | 生き方について考える
 台風(3つのうちの10号)が南の湿った空気を運んできているらしく、朝から蒸し暑い。とにかく、今日の仕事を頑張ったら、週末はまた家に引きこもることができる。ここのところの新型コロナウイルスの感染拡大の勢いをみると、これまでは大丈夫だろうと考えていた通勤電車もちょっと怖くなってきた。だが、エッセンシャルワーカーとしてはどうしようもなく、今日も往復4時間近く電車に揺られる。ロックダウンについての議論が必要という話が出始めたが、1年半以上経ってこんなというのは一体どういうことか、呆れてしまう。馬鹿に付ける薬はないのに、これまで本当に議論されることがなかったのだとしたら、この国の中枢は大丈夫なのかと心配になる。

 東京オリンピックも今日を入れてあと3日、オリンピック関連クラスターが発生したか否かが明らかになるのは、そろそろだろうが、いったいどうなるだろう。大会運営はうまくいっている様で、もう一息頑張ってほしい。その東京オリンピックだが、東京都が掲げている大会ビジョンというのがあった。”全員が自己ベスト”、”多様性と調和”、”未来への継承”の3つだ。どれもいいことを言っていて、オリンピック反対派はそういったことを理解した上で反対していたのだろうか。特に、”多様性と調和”では、「人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治、障がいの有無など、あらゆる面での違いを肯定し、自然に受け入れ、互いに認め合うことで社会は進歩。」と謳われている。たしかにコロナで大変なの時期なのは事実だが、こういった理念とか理想を実現するために開催したと考えたらもう少し真剣な議論になったはずだ。もちろんそれなりの考えがあって、反対していたのだろうが、オリンピックの意義を俎上に挙げることなく、ただ単にやめろつぶせというのだったのだから誰も相手にしなかったのではないか。反対活動に署名した人はオリンピックに背を向けてこの二週間過ごしているのか。まあ、総理大臣の国威発揚を考えた様な”前回東京大会で日本選手が活躍したのをみて感動しました”というのも安易というかお粗末な話で、

 ”日本が”多様性と調和”を受け入れ、そのことを世界に発信するためにはコロナ禍の中であっても、オリンピック・パラリンピックは開催しなくてはいけないのです”

ぐらいの決意を言ってくれたらかっこよかったのに、結局”強行開催”みたいなことになってしまったのは残念。保身のためにオリンピックを貶めた様にすら見える。

 何はともあれ開催したからにはその意義を考えなくてはいけない。少なくともここから何か学びたいと私は思う。スポーツを応援するだけで、娯楽として消費してすぐに忘れてしまうのは簡単なことだが、コロナと引き換えにしただけのものをそこから得なくてはいけないのだ。メダル獲得に一喜一憂することはもちろん大切だし、参加した選手一人一人の人間ドラマはもちろん興味深いが、それはあくまでも個人レベルの話。これほどまでに世界中を巻き込んでの平和の祭典を行ったのだから、人類規模の視点を持って考えることが求められるはずのもので、このオリンピックを噛み締め、その意義を分かち合いたい。

 奇しくも今日は広島に原爆が投下された日。当たり前の様な平和の中でオリンピックが開催されていることに感謝しなくてはいけない。これまで以上に多様性というものを知り、そこから他者への寛大さというものを学びたい。青臭いことかもしれないが、こういうことを考えることを馬鹿にする風潮がはびこってしまったから、この国の民度は地に落ちてしまったのではないか、そんなことを考える。
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