こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

中国が科学論文で世界一になったが私は戦う

2022年08月10日 | 病理のこと、医療のこと、仕事のこと
中国人がノーベル賞を取る日もそう遠くない。
12年前、中国での学会に呼んでいただき講演をした(2010年7月)があの頃はまだ、日本人病理医が圧倒的に知識も論文数も豊富だった。
だが、今、医学論文をひいても著者名は中国人とわかる人のものが圧倒的に多い。
あの時、ディスカッションした中国人研究者は誰もが天才的に頭が切れた。

この数年後に書いた、日本は、大丈夫なのかな?(2013年9月)というエントリーを読むと、もう崖っぷちに立っていたのがよくわかるが、その後の10年間も、この国は何もやってこなかったと言わざるを得ない。

科学者の端くれとして恥ずかしいことだが、私自身この10年間何をやってきたのかと問われたら、これこれを成し遂げたということはほとんどない。
自分の企画で病理のアトラスを1冊と単著で1冊書き上げたことぐらいで、あとは依頼された原稿や講演をしていた。
人には能力というものがあり、私にはせいぜいがこのぐらいしかできなかったが、あのときあのままあれを続けさせてもらっていたらもっと発展させることができたのに、と思う研究はいくつかある。

若い人に託す、といってもその若者も未来が見えなくなっている。

中国はとにかく海外に留学させた。
日本にも多くの中国人留学生が来ていたし、欧米にはもっといた。
あるものはそのまま残り、あるものは技術を国に持ち帰った。

日本人の若者は外国に出たがらないというが、これは、いない間にポストがなくなるからとか、そもそも人手不足で外国になど言っている場合ではないとか、留学中に生活ができないから、とかいろいろな理由がある。
そこそこ裕福な国だから、わざわざ出る必要がないのだ。

これが、日本が茹でガエル化した最大の原因だと思う。
さらに今起きているのが価値観の無力化。
一昔前は、他の分野に比べると医学博士は一番簡単に取れる、などと言われていたものの、それすら取ろうとしない。

曰く、専門医の方がよほど役に立つ。

臨床医としてはそれはもちろんだが、専門医も医学博士も両方取るぐらいでないとまずい。
近年の日本では優秀な人間が医学部に集中しており、その中から学問をする人が出てくれないとジリ貧となる。

これまで何もしてこなかった人間がなにを偉そうにと聞こえるかもしれないが、この状況を打破するにはなにができるか考えると、あと数年間は学術的貢献にアクセスできる立場にいるわけで、今の自分にできることを考え、あきらめずに頑張ろうと思う。

これが私の戦い方、生き方。
文句を言うのは簡単なこと

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