こんな気持ちでいられたら・・・一病理医の日々と生き方考え方

人生あっという間、私の時間もあと少し。
よりよく生きるにはどうしたらいい?

なにかを語る資格

2014年03月12日 | 生き方について考える
この世に生を受けてからこれまで50年。不肖コロ健、人の後塵を拝し続けながら生きてきた。
そんな私が先日の記事(『基本的にいい人、基本的にわるい人』)のように“人間の価値”というようなことを軽々に語っていいのかと自問すると、答えがみつからずに途方に暮れる。

なにかを語る資格、というものが私にあるか、と考えてしまう。

なにかを語るということは、生き方を語るということであり、そのような資格があるのは何のために生きるかを知っている人だけである。

私は人が何のために生きるのかあまりよく知らない。



人は何のために生きているのか、ということに対し、一つの考え方として、私には「人間それぞれは遺伝子の容器にすぎない」というものが常々ある(『ヒトにおける身体の存在意義・・・ヒトはどこから来てどこへ行くのか(3)』)。これは、人は遺伝子のキャリアーとして存在しているにすぎないということである。

だが、果たしてそれだけでこれほど入り組んだ社会というのは構築されるだろうか。



ただ単に、遺伝子の能力、というものが創造主を凌駕するほどの力なのかもしれないが、結局のところ私たち人類は、創造主を知ることは無いだろう。
そうすると、人が何のために生きているかということに対する答えは永遠に知りえないということになる。

このことと、私のこれまでの人生を照らし合わせて考えてみれば、私になにかを語る資格というのはやはり無いように思う。



かといって、なにも言わないという必要は無い。

自分はこれまでずっと人の後塵を拝し続けて生きてきた、といっても、では誰の背中をみて生きてきたのだろう。誰しも人生のことをそれほど知っていないのではないかとも思う。

少しだけ、考えて、少しだけ、謙虚になにかを語る。そんなふうに生きていければいい。


答えはなかなか見つかりません 
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