世界は底なしの不況に突入していますが、この時期個々人の考え方の違いで大きく生き方が違ってくるような気がします。
不況の嵐の中を生きるには、いやおうなくお金を使わない・モノを買わないことになりますが、それを不幸で憂鬱なこととして捕らえるのではなく、またとないチャンスとして積極的に捕らえることこそ豊かな人生が拓かれるのではないでしょうか。
そもそも不況の原因は人間の「強欲」から出発しています。つまり強い金権主義、モノへの固執、過剰な競争心などの人間の醜い部分が露呈したことが不況の原因であり、その逆の美徳や礼節・謙遜などの人としての美しさを失ったことにあります。
となれば不況の時代こそ本来の人間性を取り戻す時と捕らえ、お金を使わない・モノを買わないことは、美徳や礼節を取り戻すための試練の場であり、時間は情操を豊かにする場ととらえることができないでしょうか。
もっといえば不況の時こそ「モノから心」への価値観の変更のチャンスの時ではないでしょうか。
私は第一の人生はビジネスマン、第二の人生は画家をやっていますが、職業も違えば取り組む相手も違ってきました。
第一の人生の取り組む相手は「社会」でした。
ストレスで痛む胃を抑えながら、仕事に駈けずり回る日々でした。たえず業績に追われていましたから、ひたすら業績という「モノ」を追求していたのでしょうね。
一方、第二の人生の取り組んでいる相手は「自然」のような気がします。
毎日自然の中に浸り、自然の声を聞き、自然の色を探り、自然の香りを感じる日々のような気がします。そしてその中で発見した自然の美を描くのですが、よく考えれば自然を通した「心」を描こうとしてきたような気がします。
私はひたすら絵を描く日々にとても満足しています。ただその満足が深い分、深刻な後遺症も生じてきました。
たとえば 都会に行くことを避けるようになってきました。 情報や流行に無関心になってきました。 人間関係がとてもわずらわしくなってきました。
そして・・・モノへの欲望が加速度的に弱くなってきた自分に気づいているこの頃なのです。
もし「モノから心」への価値観の変更に取り組むなら、そのきっかけとして絵を描くのもグッドアイディアかもしれませんよ。
不況の嵐の中を生きるには、いやおうなくお金を使わない・モノを買わないことになりますが、それを不幸で憂鬱なこととして捕らえるのではなく、またとないチャンスとして積極的に捕らえることこそ豊かな人生が拓かれるのではないでしょうか。
そもそも不況の原因は人間の「強欲」から出発しています。つまり強い金権主義、モノへの固執、過剰な競争心などの人間の醜い部分が露呈したことが不況の原因であり、その逆の美徳や礼節・謙遜などの人としての美しさを失ったことにあります。
となれば不況の時代こそ本来の人間性を取り戻す時と捕らえ、お金を使わない・モノを買わないことは、美徳や礼節を取り戻すための試練の場であり、時間は情操を豊かにする場ととらえることができないでしょうか。
もっといえば不況の時こそ「モノから心」への価値観の変更のチャンスの時ではないでしょうか。
私は第一の人生はビジネスマン、第二の人生は画家をやっていますが、職業も違えば取り組む相手も違ってきました。
第一の人生の取り組む相手は「社会」でした。
ストレスで痛む胃を抑えながら、仕事に駈けずり回る日々でした。たえず業績に追われていましたから、ひたすら業績という「モノ」を追求していたのでしょうね。
一方、第二の人生の取り組んでいる相手は「自然」のような気がします。
毎日自然の中に浸り、自然の声を聞き、自然の色を探り、自然の香りを感じる日々のような気がします。そしてその中で発見した自然の美を描くのですが、よく考えれば自然を通した「心」を描こうとしてきたような気がします。
私はひたすら絵を描く日々にとても満足しています。ただその満足が深い分、深刻な後遺症も生じてきました。
たとえば 都会に行くことを避けるようになってきました。 情報や流行に無関心になってきました。 人間関係がとてもわずらわしくなってきました。
そして・・・モノへの欲望が加速度的に弱くなってきた自分に気づいているこの頃なのです。
もし「モノから心」への価値観の変更に取り組むなら、そのきっかけとして絵を描くのもグッドアイディアかもしれませんよ。