
人は知らず知らずのうちに最良の人生を選択している
この言葉は脚本家の小山薫堂氏の言葉ですが、その言葉の背景として、以下氏の文章をそのまま引用します。
周囲が愕然とするほど,僕は楽天家である。自己啓発書風の言葉を使うなら,ポジティブシンキングである。たとえば,学生時代にこんなことがあった。
親友の車を借りてドライブに出かけた。購入してまだ1週間も経っていないピカピカのアウディだ。冷静に考えれば,そんな高級車を若葉マークの自分が借りてしまったことが間違いだった。そしてあろうことか,僕はその車で正面衝突してしまったのである。非は信号無視で飛び出して来た先方にあったものの,ピカピカのアウディは一瞬にして無残な鉄の塊となった。そのとき,僕は顔面蒼白に……なるどころか,廃車になりながらも運転者に怪我一つ負わせなかったアウディに感謝しながら,こう思っていた。
「もしここで正面衝突していなかったら,次の交差点で歩行者をはねていたかもしれない。何て自分は幸運なんだろう!」
もちろん車を貸してくれた友人には大変申し訳ないと思ったが,起こってしまった事故は仕方がない。自分でも呆れるほどこういう風に楽天的に考えることで,僕はこれまで人生の辛い場面を乗り切って来た。
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私たちは未来と過去のはざ間にいるのですが、過去は過ぎ去ってしまったわけですから変えることができませんが、過去への評価は変えることができます。
過去を悔いの残る暗い過去と見るか、未来へ希望を託した過去と見るかで、未来が大きく変わるのです。
氏の言う「最良の人生の選択」とは、「心の持ちよう」をいうのです。
人生にはいろいろな選択する場面と直面します。それについて氏はこのように書いています。
人生は分岐点の連続である。ありえたかもしれない人生が枝分かれしている。きっと自分の人生は、その一番よい枝を選びながら進んでいるのだ。万が一、失敗、敗北のほうを選んでしまったとしても、それは目先の失敗や敗北に過ぎない。よりたくさんの光が届くほうに向かって、人生の枝は伸びているに違いない。