神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

明治の延長2

2019-11-08 06:41:15 | 平川・外堀3

 岩井橋の次は大和橋、そして柳原橋で、その先で神田川と連絡します。大和橋は岩井橋と同様、昭和40年代の新住居表示まであった付近の町名、(神田)大和町にちなんでおり、柳原橋は神田川右岸に造成された柳原土手にちなみ、架かっていた通りも柳原通りです。なお、大和橋の創架時の規模は長13m幅7.3m、柳原橋は長12.7m幅11mと、これまでの他の橋と同程度でしたが、大和橋のほうは靖国通りが接するように開通した際、二本の通りに跨るよう、台形状に架け直されたため、長11.9mと15.9m、幅員63.2mと一挙に大規模になりました。

 

Meiji2

    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 靖国通りの手前の道に差し掛かります。ここに元の大和橋が架かっていました。

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    2. 靖国通りの大和橋交差点です。その先の細長いスペースは、近くの信金の駐車場になっています。

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    3. 駐車場の先は柳原通りです。ここに柳原橋が架かっていました。

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    4. 神田川に突き当たって終了です。右写真は対岸からの撮影です。 

 <藍染川>  明治末の「郵便地図」などを見ると、前回の最後に扱った元の岩井橋のところから、神田川に向かって斜行する下水が描かれています。これは江戸時代、藍染川と呼ばれたもので、浜町川の伸長に伴い二つに分断され、有名な弁慶橋の架かる上流のほうは失われ、下流のみ下水として残されました。浜町川の伸長工事中と思われる→ 「実測図」には、分断される直前の藍染川が描かれています。(藍染川全体については、次回のクールで別途扱います。)