神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

浜町堀4

2019-11-02 06:24:43 | 平川・外堀3

 浜町堀の埋立ては戦後になってからですが、二段階にわたって行われました。龍閑川と同じく、昭和23年(1948年)から同25年にかけて、戦後処理の瓦礫を使って小川橋までの上流部分が埋立てられました。この時は、中央に残された路地を除いてビルの用地となりました。結局元の土手沿いの通りを含め、三本の通りが並行することになり、これは同時期にやはり瓦礫で埋立てられた三十間堀、東掘留川、新川などと軌を一にしています。

 

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    ・ 「昭和38年国土地理院撮影空中写真」  中央に架かっているのが小川橋で、上流はすでに埋立てられています。なお、小川橋の下流に写っている橋は明治橋と蛎浜橋です。

 一方、下流部分の埋立ては昭和40年代に入ってからで、すでに見てきたように北半分は浜町緑道、南は首都高の浜町出口に転用されました。この時代に埋立てられた河川跡は緑道となっているものが多く、高度経済成長期後の環境保護の要請を反映しているのでしょう。なお、龍閑川から浜町堀にかけて、その代替として下水道馬喰町幹線が敷設されていますが、水路跡と重なるのは後半の小川橋以降で、前半は左右どちらかの道路下にズレています。

 

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    ・ 久松児童公園  100m弱の細長い公園ですが、右隣りの久松小学校とは、歩行者専用道路を挟んで一体化したスペースになっています。

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    ・ 久松児童公園  正面は久松区民館で、その手前に高砂橋が架かっていました。左手にあった元吉原に起立した町屋の一つ、高砂町にちなんだ橋名です。