神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

湯島聖堂と神田明神

2019-11-21 06:36:44 | 平川・外堀4

 聖橋から左岸を見ると、すぐ左手下にあるのが湯島聖堂、その北側が神田明神境内です。「聖堂は寛永十年(1633年)林道春が上野の別荘に初て建、その後回禄(火災)の為にうばゝれて、元禄年中御造営ありて此地にうつさると云、元禄三年(1690年)庚午より聖堂御成御殿その外御場所御普請はじまり、・・・・同き四年辛未二月七日忍岡より遷座あり」(「御府内備考」) 寛政9年(1797年)には、最初の官学校、昌平坂学問所(昌平校)が開かれました。明治に入り廃校となりますが、開成所、医学所と共に東京大学の系譜へと連なります。

 

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    ・ 神田川  聖橋から次の昌平橋方向です。左手の坂が相生坂、その向こうの茂みが聖堂構内です。なお相生坂を昌平坂と呼ぶこともあります。

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    ・ 聖堂構内  左手の門が仰高門です。→ 「江戸名所図会」と同じ位置にあって、相生坂からの一般の見学者の入口になっています。

 「神田明神社 聖堂の北にあり、唯一にして江戸総鎮守と称す。祭神 大己貴命 平親王将門霊 二座 社伝曰、人皇四十五代聖武天皇の御宇、天平二年(730年)の鎮座にして、其はじめ柴崎村にありし頃、其旧地神田橋御門の内にあり、中古荒廃し既は神灯絶なんとせしを、遊行上人第二世真教坊、東国遊化の砌こゝに至り、将門の霊を合て二座とし、社の傍に一宇の草庵をむすび、柴崎道場と号す。今の浅草日輪寺是なり。其後慶長八年(1603年)当社を駿河台にうつされ、其頃日輪寺は柳原にて地をたまふ、元和二年(1616年)又今の湯島にうつされる。其儘旧号を用ひて神田大明神と称す」(「江戸名所図会」)

 

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    ・ 神田明神  昭和9年(1934年)竣工の社殿は、鉄骨鉄筋コンクリート、総朱漆塗の、当時としては画期的なものでした。