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万世橋

2019-11-25 06:25:08 | 平川・外堀4

 明治5年(1872年)、筋違門の桝形石垣が解体された際、その石材を転用して石橋に架けかえ万世(万代)橋と名付けました。命名者は「よろずよ」と訓読みを考えていましたが、普及したのは音読みの「まんせい」のほうでした。また、アーチ二連の形状から、眼鏡橋とも呼ばれました。明治36年には、現在の場所に新たに万世橋が誕生、古い方は元万世橋と名を変え併存していましたが、同39年に撤去されました。

 

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    ・ 「参謀本部陸軍部測量局の1/5000実測図(明治17年測量)」  「紙久図や京極堂 古地図CD-ROM」収録の北部及び北東部の一部で、同社の基準(72dpi)で掲載しています。  

 この撤去された元万世橋の→ 遺構が、神田明神の社殿裏に保存されていて、橋は肥後出身の石工、橋本勘五郎作と伝えられています。ところで、上掲「実測図」を見ると、筋違橋のところが万世橋となっているのは上述のとおりですが、現在の万世橋の場所にも橋が架かり、橋名は昌平橋となっています。これは明治6年の洪水で昌平橋が流失したあと、同32年に再建されるまでの一時期、現万世橋の場所に私設、有料の橋が架かり、昌平橋と呼ばれていたことによります。

 

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    ・ 万世橋  現在の万世橋は震災復興時の架け替えで、長さ26m幅36mの石とコンクリート混成のアーチ橋です。

 <万世橋駅>  万世橋駅は明治45年(1912年)、中央本線や総武線のターミナルにして東京、新橋方面への乗換駅として構想され、東京駅と同じ設計者の手になる赤レンガの駅舎で開業しました。それが、構想の変更に伴い関東大震災後規模を縮小、昭和18年(1943年)には営業を休止します。平成18年にさいたま市大宮に移転するまで、交通博物館のあったところといったほうが分りやすいかもしれません。万世橋から振り返って撮影した→ 写真の左手、赤レンガが万世橋駅の遺構です。