江戸の幹線道路の一つで、奥州街道筋にあたるのが本町通りですが、そこに緑橋が架かっていました。「緑橋 通油町ヨリ通塩町ヘ架ス長九間幅四間」(「東京府志料」) 当初の浜町堀は本町通りの手前で堀留だったので、元禄4年(1691年)に龍閑川とL字で連絡して以降、創架されたことになります。明和2年(1765年)にL字の前後が狭められ、通船が出来なくなりますが、その個所は緑橋を越えた先からだったので、以降も変わらず存続し続けました。これに対して、次の鞍掛橋は狭められた区画に属し、「東京府志料」に収録されていません。江戸通りに架かる橋で、小伝馬町と馬喰町の間にあり、馬つながりのネーミングと思われます。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- 1. 本町通りを超えます。緑橋の架かっていたところで、右手に向かうと、600mほどで浅草橋に出ます。
- 2. ワンブロックで江戸通りにでます。
- 3. 鞍掛橋交差点を超えた先にも路地は連続しています。
- 4. 竹森橋の架かっていたところです。ここから先の右手が旧橋本町で、神田区(現千代田区)に属していました。
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