神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

浜町堀6

2019-11-06 07:13:58 | 平川・外堀3

 江戸の幹線道路の一つで、奥州街道筋にあたるのが本町通りですが、そこに緑橋が架かっていました。「緑橋 通油町ヨリ通塩町ヘ架ス長九間幅四間」(「東京府志料」) 当初の浜町堀は本町通りの手前で堀留だったので、元禄4年(1691年)に龍閑川とL字で連絡して以降、創架されたことになります。明和2年(1765年)にL字の前後が狭められ、通船が出来なくなりますが、その個所は緑橋を越えた先からだったので、以降も変わらず存続し続けました。これに対して、次の鞍掛橋は狭められた区画に属し、「東京府志料」に収録されていません。江戸通りに架かる橋で、小伝馬町と馬喰町の間にあり、馬つながりのネーミングと思われます。

 

Hamacho2

    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    1. 本町通りを超えます。緑橋の架かっていたところで、右手に向かうと、600mほどで浅草橋に出ます。

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    2. ワンブロックで江戸通りにでます。

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    3. 鞍掛橋交差点を超えた先にも路地は連続しています。

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    4. 竹森橋の架かっていたところです。ここから先の右手が旧橋本町で、神田区(現千代田区)に属していました。 

 <本町通りと江戸通り>  本町通りは常盤橋(大橋)から浅草橋、千住、奥州へと向かう道筋にあたり、日本橋通りと並んで江戸の幹線道路の一つでした。「本町通り・・・・両国の方より称して横山町通りとも云」(「御府内備考」) 一方、北側を並行する江戸通りには、本石町、小伝馬町、馬喰町がありました。現在のように、江戸通りが本町通りに代わる幹線道路となったのは、明治40年代のことで、それまで浅草橋までの市電(当初は軌道馬車)の経路を両者一方通行で分け合っていたのが、江戸通りを拡幅し往復ともそちらを通るようにしたためです。大正9年(1920年)には、江戸通りの延長上に新常盤橋を架け、路面電車は丸ノ内に乗り入れることになりました。