神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

秋葉原船溜

2019-11-28 06:56:05 | 平川・外堀4

 和泉橋の北詰から秋葉原駅にかけて、L字状の入堀がありました。明治23年(1890年)に秋葉原貨物駅が開業したのに伴い、神田川の水運と連絡するため開削された船溜と掘割で、昭和30年代まで規模を縮小して存続していました。ところで秋葉原の地名由来ですが、この付近は材木商が多く、また度々火災にも襲われたところでもあり、明治2年(1869年)の大火をきっかけに、現秋葉原駅一帯に火除け地を設け、鎮火神社(のち秋葉神社)を祀りました。この火除け地が秋葉の原(あきばのはら)と通称され、駅名の秋葉原(あきはばら)の由来となったものです。なお、神社は火除け地が貨物駅用地となった際、当地とはだいぶ離れた台東区松が谷に移転、現在に至っています。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(明治42年測図) / 日本橋」  上掲地図と同一場所、同一縮尺です。

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    1. 和泉橋から上流方向のショットで、その右手の防災船着場奥に、掘割跡のスペースがあります。

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    2. 細長い秋葉原公園です。その一角に昭和4年の日付のある佐久間橋の親柱が保存されています。

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    3. 公園の先で線路を越えたところで左折です。ここにも橋が架かっていたようですが、橋名など不明です。

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    4. 秋葉原駅の北西にある広場です。このあたりが船溜だったことになります。