龍閑児童公園から龍閑川を日本橋川までさかのぼります。大門通り、人形町通りと越えますが、その左手は小伝馬町です。小伝馬町は牢屋敷があったことで有名ですが、現在はその一部が十思公園となっています。慶長年間(1596~1615年)に、常盤橋門外から当地に移転してきた牢屋敷ですが、石出帯刀が世襲で奉行(囚獄)を務め、配下の牢屋同心数十人、さらに雑用、手伝いの牢屋下男がいました。なお、牢屋敷は現在の刑務所のように刑罰として収容する施設ではなく、未決囚などを一時収容する拘置所のようなものです。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- 1. 龍閑児童公園からのショットです。前の通りには幽霊橋(前回UPの→「地形図」では玉出橋)が架かっていました。
- 2. 龍閑川跡はこのような路地となって、1km以上続きます。なお、この路地が右手千代田区、左手中央区の区界です。
- 3. 大門(おおもん)通りには甚兵衛橋が架かっていました。左手に折れると元吉原大門に至る通りです。
- 4. 人形町通りに向かいます。人形町通りには九道橋が架かっていました。
- 5. 九道橋から次の火除橋までの区画の左手が、間に土手を挟んで小伝馬町牢屋敷でした。