筑土八幡神社境内の解説によると、創建は1200年ほど前の嵯峨天皇の時代、松の木に細長い旗のような瑞雲がかかり、白鳩が枝にとまったことから、しめ縄を松の木に結い八幡神を祀ったのが最初です。さらに、伝教大師が筑紫の宇佐八幡の土を盛って基礎とし、筑土八幡神社と名付けたとか、文明年間(1469~86年)に上杉朝興が産土神として信仰した、などが書かれています。最後の上杉朝興云々は「江戸名所図会」にもありますが、彼が後北条氏と江戸城をめぐって争ったのは、文明年間より後の16世紀前半のことです。
- ・ 「江戸名所図会 / 筑土八幡宮 同明神社」 タイトルと同様、参道や社殿が二つ並んでいて、向って右が筑土八幡、左が津久戸(筑土)明神。明神のほうは昭和20年に戦災で全焼後、九段下に移転、現在は→ 築土神社となっています。
- ・ 筑土八幡 大久保通りから階段で上る参道で、中腹の鳥居といい「図会」と同じ構造です。なお、左手には筑土明神参道の名残の坂があります。
- ・ 筑土八幡 境内は牛込台の東北端にあります。後背地は御殿山と呼ばれ、中世の土塁跡とも、将軍鷹狩りの際の休息所ともいわれています。
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