神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

船河原橋

2018-12-20 06:55:35 | 江戸川・紅葉川

 神田川本流に戻り、隆慶橋の次は船河原橋です。江戸川の範囲はここまでで、その先は外堀です。「橋 右は町内東北の方御武家屋敷脇小石川辺えの往来江戸川落口に掛有之船河原橋と相唱候訳且里俗どんどん橋と相唱候得共右唱の訳相知不申尤町内持には無御座水戸様御一手持に御座候」 これは揚場町に関する「御府内備考」の記述ですが、その揚場町の一帯の元名が船河原だと「南向茶話」は書いています。船河原橋から数百メートル市谷寄りに市谷船河原町も現存しており、外堀開削以前の低湿地時代、船溜まりになっていたのかもしれません。  

 

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    ・ 船河原橋  神田川は左手から流れ、右端で外堀(飯田堀)と合流、左折して奥に向かいます。真ん中の通りが外堀通り、交差しているのが目白通りで、大久保通りもこの交差点左下隅が起点です。 

 一方、どんどん橋の由来については、「御府内備考」は別の個所で「改選江戸志」を引用しています。「世にどんどん橋ともいへり、是は橋の下にて流れのひくき所へ落ちれはどんどと音するによりかくいひならはせるならん」 なぜ高低差があるかというと、ここに堰を設けて江戸川の水位を上げ、関口からの取水を確保、かつ水質を保つためでした。おかげで上流の江戸川には魚が繁殖、特に鯉は美味だと評判でした。ただ、江戸川は御留川(禁漁)だったため、どんどんから落ちた魚目当てに、連日釣り人でにぎわったそうです。

 

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    ・ 飯田橋  上掲写真右下隅からのショットで、手前が外堀(飯田堀)に架かる飯田橋、その奥は船河原橋の一部です。知名度は全国区の飯田橋ですが、明治に入ってからの創架です。

 飯田橋の飯田は小石川御門内の通称、飯田町が由来です。江戸開府当時家康を案内した功により、名主に指名された飯田喜兵衛にちなみ、町名も家康が指定したと言い伝えられています。ただ、その後開発されて武家地となったため、(武家地に町名はないことから)通称にとどまり、明治に入り1~6丁目に再編されて正式な町名となりました。明治14年(1881年)に外堀に架けられた橋が飯田橋と命名され、さらに昭和3年(1928年)、牛込駅と飯田町駅が統合され飯田橋駅が誕生、同41年の新住居表示で飯田橋(1~4丁目)が採用され、本家の飯田町に取って代わることになります。