神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

外堀2

2018-12-22 06:05:11 | 江戸川・紅葉川

 江戸城外堀が完成したのは寛永13年(1636年)、諸大名を動員したいわゆる天下普請によってでした。当時は軍事施設としての側面が主でしたが、万治年間(1658~61年)に、仙台藩によって拡幅工事が行われ、隅田川から牛込までの通船が可能となります。その際余った土によって、小石川、小日向を築地し、武家地を造成したとの話は、たびたび引用したところです。これ以降、外堀は生活物資の輸送路としても機能し、飯田堀の半ばに荷揚げ場が設けられました。「神田川附きに而山の手諸色運送の揚場に相成候に付町名揚場町と相唱申候」「惣物揚場二ヶ所 河岸南の方 間口九間五尺奥行十弐間 北の方 間口十七間奥行十弐間」(「御府内備考」)

 

Usigom42

    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(明治42年測図) / 早稲田」と「同 / 四谷」の合成で、現在の開渠個所をブルーで重ねています。   

0817a

    ・ 牛込揚場碑  飯田橋駅前のセントラルプラザと外堀通りの間は、小川の流れるスペースになっていますが、その一角に牛込揚場の碑が据えられています。 

 以下は碑文の引用です。「江戸時代には海からここまで船が上ってきた。全国各地から運ばれてきた米、味噌、醤油、酒、材木などがこの岸で荷揚げされたので、この辺は揚場と呼ばれた。昭和47年に都の市街地再開発事業として、ビル建設が決定され飯田濠は埋め立てられることになったが、濠を保存してほしいという都民の強い要望から、ビルの西側に飯田壕の一部を復元すると共に、以前水面があったことにちなんで約230メートルのせせらぎを造った。小濠の水は、このせせらぎの地下水路を通って昔のとおり神田川に注いでいる。」

 

0817b

    ・ 飯田堀  セントラルプラザの西側に一部復元された飯田堀です。堀の水は右手の呑み口から地下水路に導かれ、飯田橋先の神田川に合流しています。