神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

成子町境

2018-12-06 05:56:25 | 蟹川

 → 「東大久保村絵図」の描く蟹川のもう一つの谷頭、成子境は、現在の歌舞伎町1丁目から2丁目にかけての低湿地でした。「豊多摩郡誌」が「淀橋町大字柏木字成子北側、同町大字角筈字矢場及び東大久保字角筈裏の三字界の辺にも溜井ありて、清水噴出し」と書いているのがそれです。下掲「明治42年測図」の谷頭にある丸い池や、その下にある楕円のものも、周辺に田圃が残っており、農業用の溜井かもしれません。

 

Sakaim42

    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(明治42年測図) / 中野」と「同 / 四谷」を合成したもので、JR線、西武線の線路、区役所通りなどをグレーで重ねています。

0803a

    ・ 西武新宿駅  前回最後の→ 写真の通りは、西武新宿駅に突き当たって終了ですが、→ 「東京近傍図」を見ると、谷頭ははさらに奥のJR線の下にあったようです。 

 「明治42年測図」には、谷頭の丸いのを始め大小幾つもの池が描かれています。うち最大のものは大村伯爵(旧肥前大村藩主)の屋敷にあり、浮島を持つ大きな沼とその周辺は、「大村の森」と呼ばれるカモ猟のスポットでした。「大村の森」はその後宅地造成され、第二次大戦末の戦災を経て現在の繁華街へと変貌します。戦後の復興計画では、メインとされた歌舞伎劇場誘致はとん挫しますが、その時名付けた歌舞伎町という名前だけは残りました。

 

0803b

    ・ 歌舞伎町弁財天  台座に記された由来によると、淀橋浄水場建設の残土で大村邸の池は埋たてられました。不忍池弁財天を勧請したのはその後の、大正2年(1913年)のことです。