神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

江戸川

2018-12-08 06:37:02 | 江戸川・紅葉川

 江戸川橋に戻って、神田川本流を下ります。これまでも度々触れてきましたが、この一帯の神田川は、昭和40年(1965年)の河川法改正まで、江戸川と呼ばれていました。正確には関口で神田上水と分水して以降、飯田橋駅前に架かる船河原橋までの名称です。井の頭池から関口までは、(それ以降の狭義のと共に)神田上水、ただし、上流の村々では井の頭上水とも呼ばれ、一方、船河原橋より下流は神田川、あるいは単に御堀でした。

 

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    ・ 「東京近傍図 / 下谷区」(参謀本部測量局 明治13年測量)及び「同 / 麹町区」を合成、その一部を加工したもので、本来の縮尺は1/20000、パソコン上では1/12000ほどです。オレンジ線は区境で大半が新宿区です。 

 「江戸川は神田上水の枝流なり、関口水道町の西にて分流し、大抵東流して中ノ橋、龍慶橋の中ほど、小名大曲りといふ処よりやゝ南流と成、船河原橋(俗にどんと橋といふ)を過て御堀に落入れり、按に此川全く上水の枝流とせば慶長以降の川なれど、恐くは左にはあらざるべし、此辺元下卑の地なれば、昔村落なりし頃より用水の川ありて、上水掘割の時たまたま此川に余水を落せしにあらずや」「右往古田畑之要水に而古川と唱候処万治年中より江戸川と唱候由申伝候」(「御府内備考」)  

 

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    ・ 神田川  江戸川橋から下流方向です。正面に架かるのは華水橋、その奥に掃部橋、古川橋と重なっています。その次の石切橋はカーブの先になります。

 江戸時代、関口から船河原橋までに架かる橋は七つで、上流から関口橋、江戸川橋、掃部橋、古川橋、江戸川大橋、中ノ橋、そして大曲以降に唯一架かる龍慶橋でした。関口橋には一休橋、古川橋には麁朶(そだ)橋、大橋には石切橋の別名があり、各々の規模は「東京府志料」の数字で、関口橋(長十間幅二間)、江戸川橋(長十一間幅三尺)、掃部橋(長七間四尺五寸幅四尺五寸)、古川橋(長七間幅二間一尺)、大橋(長七間幅二間一尺)、中ノ橋(長九間幅二間)、龍慶橋(長十八間幅二間三尺)となっています。