牛込見附から牛込台に上る坂が神楽坂です。名前の由来は、坂の中腹にあった高田八幡神社(穴八幡)の御旅所で神楽を奏したからなど、みな神楽がらみですが、神楽を奏した神社に関しては、穴八幡以外にも市谷八幡、若宮八幡、津久戸明神、赤城明神などあって、近隣の有力神社を網羅しています。その規模は「高凡三丈七尺程北の方壱町斗有之幅上の方六間程下の方四間半程」(「御府内備考」)です。
- ・ 「江戸名所図会 / 牛込神楽坂」 「月毎の寅の日には参詣夥しく、植木等の諸商人市をなして賑はえり」
坂下には今回テーマの大下水が流れ、そこには石橋が架かっていました。「大下水 幅壱間 右者町内東側家前に有之里俗柳川と相唱艮の方江戸川え落入候」「石橋 長九尺幅四間 右は神楽坂通往還大下水え掛渡候石敷十五枚」 いずれも「御府内備考」の牡丹屋敷の項の記述です。なお、「図会」右下にも石橋が描かれていますが、これは前々回の軽子坂下のもので、その規模は「石橋 長九尺幅壱丈壱尺三寸・・・・石敷七枚」でした。
- ・ 神楽坂 外堀通りを挟んで向かい合う牛込見附からのショットです。通りは早稲田通りで、神楽坂を上り牛込台の背を縦断、高田馬場方面に向かいます。
- ・ 善国寺 「図会」の坂上に描かれています。文禄4年(1595年)、徳川家康により創建、その毘沙門天像は江戸三毘沙門として信仰された、と解説プレート。