神田川 「まる歩き」 しちゃいます!!

ー神田川水系、支流はもちろん、旧水路、廃水路、全部 「まる歩き」ー

太宗寺の支流2

2018-12-01 06:22:56 | 蟹川

 「蟹川」を最新の写真を元にリメイクします。蟹川(金川)は神田川の中流域の一支流で、旧大久保村から発し、尾張藩下屋敷(現戸山公園)をへて、早稲田で合流していました。江戸時代は農業用水や尾張屋敷の大泉水に利用され、流末は大下水となりました。昭和に入り農地の宅地化に伴い暗渠となり、自然河川としては消滅しました。当時の流路は文化センター通りなどに残されています。

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 内藤新宿、太宗寺方面からの流れを追っての二回目です。前田圃から南に向かって150mほどで、東京医科大前を通る医大通りです。ここで旧東大久保村を離れ、江戸時代に武家地となっていた一角(番衆町)に差し掛かります。医大通りの先に池があり、水源の一つとなっていましたが、出雲母里藩松平家下屋敷のあったところで、明治に入り相場師で新宿将軍と呼ばれた浜野茂邸、のち箱根土地の遊園地「新宿園」を経て、昭和6年(1931年)に宅地造成されました。なお、3.から4.にかけての流路は、日本地形社の「1/3000測図」に描かれたもので、本来は直進していたのが浜野邸が宅地造成された際、付替えられたのでしょう。

 

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    ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。) 

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    ・ 「陸地測量部発行の1/10000地形図(明治42年測図) / 四谷」  上掲地図と同一場所、同一縮尺です。

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    1. 文化センター裏で前田圃を離れ南に向かいます。

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    2. ここはまだ旧東大久保村の範囲ですが、やはり武家地でした。

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    3. 医大通りに突き当たり右折します。右写真は右岸からのショットで、かなりの谷筋なのが分かります。 

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    4. 奥の突き当りを左折、直進して靖国通りまでです。なお、右折前後の道幅の変化に注目です。