豊島岡墓地沿いの路地に戻ります。地図でもそれとわかるクネッた路地が200m近く続き、一般の道路に突き当たって中断します。富士見坂下を起点とする通称坂下通りです。その後は、坂下通りの左右を蛇行しながら進みます。なお、一帯は江戸時代、小石川村のうち小名大塚に属していました。元禄10年(1697年)に護国寺領となったのち、富士見坂下に町屋ができ、小石川大塚坂下町を名乗ります。明治に入り、護国寺および近隣の武家地を併せ、小石川区大塚坂下町となりました。現在の文京区大塚5丁目、6丁目です。
- ・ 昭文社の地図ソフト"Super Mapple Digital"で作成、縮尺は1/6000です。青点線が実地調査及び当時の地図、空中写真などで確認できる水路跡で、そのポイントを地図に記入した番号順にウォーク&ウォッチしてみました。(一部推定によっているところもあります。)
- 1. 豊島岡墓地の塀沿いの路地から再開、突き当りを右折、次の突き当りを左折です。
- 2. 左折後、水路単独と思われる狭い路地を北上します。
- 3. 吹上稲荷の参道に突き当たって右折、鳥居の先は坂下通りです。
- 4. 坂下通りを越えたところで左折、40mほど並行したのち右カーブで通りから離れます。
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