「巣鴨村は、日本橋より行程一里半、・・・・南は小石川大塚町巣鴨辻町坤は小石川大塚町、西は小石川雑司ヶ谷池袋の三村、・・・・東西凡二十町南北凡十五町、民戸百十三、・・・・村内艮の方に中山道係る幅五六間、又上板橋村に達する道あり、中間辻町より分て西ヶ原村の方に往く路を王子道と云」(「新編武蔵風土記稿」) 中山道沿いは町屋となって巣鴨町を名乗り、また、上板橋道(現春日通り)と王子道の追分に起立したのが巣鴨辻町でした。用水は谷端川(小石川)が主で、「風土記稿」に水窪川に関する記述はありません。
- ・ 「巣鴨村絵図」 「豊島区地域地図」第7集(平成21年 豊島区立郷土資料館)に収録された、享和元年(1801年)作成の「巣鴨村絵図」(東京都公文書館蔵)を元にイラスト化しました。
- ・ 大塚駅前 谷端川は大塚駅前で都電荒川線と交差、その先の信号が王子道(「村絵図」中では大塚道)で、このあたりが巣鴨村の本村でした。
雑司ヶ谷村との境に近い巣鴨村字向原の地に、明治28年(1895年)面積6万坪、長方形の敷地を持つ警視庁監獄巣鴨支庁が設置されました。その後巣鴨監獄、巣鴨プリズン、東京拘置所など、名称と管轄を変えながら継続、昭和46年(1971年)に、東京拘置所の小菅移転に伴い建物は解体、撤去されました。跡地にサンシャイン60やサンシャインシティが開業したのは、それから7年後のことです。
- ・ 造幣局東京支局、 右手奥のサンシャインシティ、サンシャイン60と共に、跡地の南半分を占めています。手前の道路は坂下通りで、富士見坂下と巣鴨監獄の正門を結んでいました。